活字の発展は、クレジットとともに:〈Women in Type〉が光をあてた女性たち【後編】
活字産業の発展、その背景に多くの女性の貢献があったことを明らかにした調査プロジェクト、〈Women in Type〉。誰もが知っているような有名書体であっても、それらが誰かひとりの手によってつくられたのは非常に稀だということを、改めて私たちに知らせてくれる。他者の存在を互いに認め、クレジットし、記録を残す。そこから歴史は紡がれ、後世からもアプローチが可能なものになるのだ。
デスクに向かう〈Monotype〉の女性 © Monotype Archives
20世紀の活字デザインをリードした2社、〈Monotype〉と〈Linotype〉(本稿で触れるのはそのイギリス部門)で働いた女性たち。その記録と、貴重な肉声を収集することを通じて、活字産業のイメージを変えていったプロジェクトが、レディング大学教授のフィオナ・ロス氏率いる〈Women in Type〉だった。インタビュー前編に続くこの後編では、現代にも通じる「クレジット」の問題が語られる。誰かの存在を隅に追いやるのも、また逆にエンパワメントするのも、ひとつのクレジット(の有無)なのだ。
interviewed by Sonoka Sagara / Kaho Torishima
text by Sonoka Sagara / Fumihisa Miyata
Fiona’s assistance by Hazuki Yoneyama (Hollom)
フィオナ・ロス|Fiona Ross 1954年生まれ。タイプ・デザイナー、言語学者。イギリス・レディング大学タイポグラフィ&グラフィックコミュニケーション学科教授。これまでにSoTA Typography Award(2014年)、TDC Medal(2018)などを獲得。著書にThe Printed Bengali Character and its Evolutionなどがある。
いまの話だ、と編集チームは感じた。ロス氏の口から語られるエピソード、その思いは、決して昔話ではなかったのだ。私たちのクリエイティブのそこかしこで、今日もまた、問われていること──信頼の証しとしてのクレジットを、おろそかにしないということ。そのクレジットは、必要なのだ。かつて活字産業の現場に響いていたであろう彼女たちの笑い声を、改めて想像するために。これから響きわたる誰かの笑い声を、未来にまで反響させるために。
──インタビュー前編の最後で、女性たち自身が自らの仕事を評価しておらず、貢献しているという意識がなかったとおっしゃっていました。それもまた、彼女たちの貢献が歴史のなかに埋もれてしまった要因のひとつなのでしょうか。
そうですね。仮に声を上げたいと思ったとしても、当時それは簡単なことではありませんでした。この状況は、そんなに遠い昔の話ではありませんよね。社会や職場には、家父長制度がいまもまだ残っています。また、タイプデザイナーそのものの認知の変化も、歴史に埋もれてしまった要因のひとつではあります。
──タイプデザイナーの認知に、どのような変化があったのでしょう。
一般の人がフォントとは何であるかを知るようになったのは最近のことですよね。いまはパソコンがあるので、みんなフォントが何なのか知っていて、どれを使うか選んでいます。しかし、パソコンが普及する前に「私はタイプデザインをしています」と言っても「それは何?」と言われていました。一般の人からすると、新聞や道案内板などで毎日見ている文字を、誰かがデザインしているなんて思いもよらないのでしょう。それがいまは、評価の対象になっているということです。教育も変わってきたと思います。タイプデザインのコースが増えましたし、ウェブの書体も増えています。さまざまな大学や美術学校で、これまで受け止められてきた歴史を見直すプロジェクトが行われていて、素晴らしいことだと私は思っています。
──書体デザイナーの役割が認識されるようになってきた、という社会的背景もあるのですね。いまはSNSを通してさまざまな方の仕事を見ることができます。現代は、人びとの貢献を伝えやすくなっているとも言えそうですね。
誰もが自由に自分の活動を発信できるようになった一方で、素晴らしい仕事がすべて発信されているというわけではありません。なぜなら私は、とても才能があるのにソーシャルメディアに参加していない男性のデザイナーたちを知っているからです。彼らは非常に才能があり、素晴らしい人たちですが、名乗り出ようとはしません。彼らは自分自身ではなく、彼らの作品を評価してほしいのです。作品そのものが評価されるということは、いままさに私が試みていることであり、要求に応えようと思っていることです。
──フィオナさんの「他の人の功績を伝えたい」というモチベーションはどこから来ているのでしょうか。
私は田舎の小さな集落に住んでいます。また、私は文字でのコミュニケーションをより好むので、あまりこうしたインタビューを受けることもありません。大学の方針でなければ、いまのように人びとに向けて多くの講義を行うこともないでしょうし、できるだけひっそりと暮らしていると思います。しかし、〈Linotype〉にいた当時から、他の女性たちのために彼女たちの仕事を認めてもらい、知ってもらい、きちんとした報酬を受け取ってもらいたいと心から思っていました。だから挑戦をしてきましたし、何より彼女たちを褒め称えるのはとても嬉しいことなのです。
1930年代、パントグラフを操る〈Monotype〉の若い女性たち。(Photo Courtesy of Richard Cooper)
人を認め、クレジットすること
──フィオナさんは、ご自身がタイプデザイナーでもありますね。
1982年にティム・ホロウェイとともにベンガル語書体をデザインしていました。書体をリリースする際に、私は彼に「あなたをデザイナーとして登録しますね」と言いました。すると彼は「いや、共同デザイナーとしてあなたの名前も登録するべきだ」と言い、私は「いやいや、そんなことはない。あなたがすべての美しいデザインをつくったのですよ」というようなやりとりをしました。しかし彼は「あなたのスケッチや意見がなければ、私はこの書体をデザインすることはできなかった」と語ったのです。これは他の人(女性)たちにも同じことが言えると思います。人を認め、クレジットすることは重要なのです。
──ティムさんは、後年の仕事では〈Adobe Arabic〉などを手がけている方ですよね。協働者を積極的にクレジットしていくということは、当時は珍しいことだったのでしょうか。名前を出している男性デザイナーと女性たちの関係性はどのようなものだったのでしょう。
(クレジットという問題は)現在はジェンダーに関係のないことになりつつあると思っていますが、昔は確実にジェンダーに関係したことであり、協働した女性をクレジットすることは非常に珍しかったのです。共同作業者である私の名前を記載したことが知られたら「こんなことをしたのは誰だ」と叱られてもおかしくはありません。
ティムの面白いところは、彼自身が認めてもらおうとしないところです。彼はとても控えめな人でした。彼は、研究をしたり絵を描いたりしたいのであって、人に認められることは望んでいませんでした。一日中、絵を描いているのが好きなんだと言っていました。インタビューに出るのも嫌だったようで、彼に関する写真はとてもぼんやりしたものが1枚あるだけですね。しかしそれが、彼のやりたかったことなのです。彼は稀有な存在であり、とても才能がありました。そのため、私の仕事というのは、彼の仕事に脚光を浴びせることでした。実際、〈Mitra〉、〈Karim〉、〈Adobe Arabic〉、そしてベンガル語のものなどの素晴らしい書体を登録する際には、いつも私が文章を書いて彼の名前をクレジットしました。そうすることで、彼の存在が世間から知られることになりました。彼はいまでもインタビューに応じませんし、メールもしません。携帯電話にも出ない。私たちはとても面白い関係で、彼は私の手のようなもので、私のアイデアをすぐに解釈することができました。数々の共同作業を通して、私たちだけのコミュニケーション言語を見つけました。
──クレジットに関して、〈Linotype〉の会社としての姿勢はどうでしたか。
〈Linotype〉は長年にわたって、アドリアン・フルティガーやマシュー・カーターのような非常に有名なデザイナー以外は、デザイナーの名前を出さないというポリシーをもっていました(編注:アドリアン・フルティガーは〈Univers〉など、マシュー・カーターは〈Verdana〉などで広く知られる)。それでも私はスプレッドシードをつくって、すべての人たちのクレジットを記載するようにしていました。〈Linotype〉がドイツに引き継がれたとき、フォントも移管されました。ウェブサイトを見るといくつか不正確な点があったので、私は「この人たちがデザイナーです」と彼らにリストを送りました。クレジットに関するポリシーは企業や人によってさまざまです。自ら名乗り出るのは難しいですし、その気にならない人がいるのもわかります。そして、その人が望むなら、プライバシーは尊重されるべきだとも思っています。しかし、きちんと事実に見合った貢献を認識できるようにするというのは大事なことだと思っています。私はそれらの貢献をきちんと肯定したいのです。
──フィオナさんが共同作業・共同関係と呼んでいるものは、他の呼び方ではクレジットとも言えると思います。フィオナさんを信頼(credit)してくれたティムさんの存在が、フィオナさんのいまの活動にもつながっているのだなと感じます。お互いの存在や、そこで起きたことを、無かったことにしない。それがとても大切なのだと思いました。
そうですね。最近は、(インド出身のデザイナーである)ニーラカシュ・クシュトリマユムといくつかのプロジェクトに取り組んでいますが、その他のほとんどのプロジェクトはこれまで同様、カナダの〈Tiro Typeworks〉のジョン・ハドソンとの共同作業で行っています。そして私たちは、貢献してくれた人たちのクレジット表記にはとても気を使っています。書体がフォントファイルとしてリリースされるまでには、本当にさまざまな複雑な作業とたくさんの方の貢献があります。発表の際には、デザイン情報のなかにすべての人の名前を記載するようにしています。例えば、最近リリースしたTiro Google Fontsでも、貢献してくれた人たちの名前を概要に記載しています。印刷物で発表する際も同じですし、プロジェクトでもそうです。文章は、長い歴史のなかで研究の対象として扱われるものです。文章の引用や特定の人の作業、貢献してくださった方の役割がしっかりと認識されるようにしています。
Google Fontsより、ロス氏らが手がけた〈Tiro Devanagari Sanskrit〉。細かくクレジットが明記されているのがわかる。
記録を通して、存在をたどる
──〈Women in Type〉は、論文の形式だけでなくウェブサイトでも公開されていますね。とても見やすく、一般の人でもアクセスできるようにデザインされています。
デザインの歴史に貢献したいと思っていました。もっと正確な歴史を語りたいと。研究を始めた当初に定めた(インタビュー前編で語った)3つのレンズ──社会的な歴史、技術的な変化、デザインへの貢献ですね。ウェブサイトはふたつあります。ひとつが研究ブログ。よりアカデミックなもので、レディング大学のウェブサイトの配下にあります。もうひとつが、アリス・サヴォア(前編参照)とマシュー・トライエイがデザインしたプロジェクトの特設サイトです。いまこうしてふたりの名前を出すのは、彼女たちがとても重要な役割を担ったからです。写真をパラパラめくりながら好きなものを取り出すようなイメージでこのデザインになっています。このサイトを通して、さまざまな人たちに語りかけたいと思っていました。研究者や学者だけではなく、一般の人たちにも見てもらえるようなサイトにしたかったのです。ほんの数分過ごすだけで、信頼できる資料に触れることができ、情報を得ることができる。私たちはこれらを発表することで、物事の見方を示したかったのです。プロジェクトは正式には2021年に終了しましたが、私たちはこのプロジェクトにとても情熱をもっていて、終わることはありません。読者の異なるさまざまなメディアへの発信をいまも続けています。この確かなアプローチの背後にいる人びとの存在を、より多くの人に知ってもらいたいと思っています。
〈Women in Type〉特設サイトのトップページ。折り重なったアルバムの写真を、アクセスした人が興味関心に沿ってめくっていくようなデザインになっている。
──公開してみて、どのような反応がありましたか。
素晴らしい反響がありました。正式な公開は2021年11月でしたが、2022年1月にはすでに1万3,000人がサイトを訪れていました。その後もさらに増え続けています。もうひとつの特徴は、訪問者の出身国が非常に幅広いことです。これは私たちにとっても重要なことでした。〈Women in Type〉の活動が広くが認められたということでしょう。私たちが受け取った反応はとてもポジティブなものばかりで、多様でした。追加の情報やインタビューできそうな他の人について教えてくれることもありました。また、〈Linotype〉の機械オペレーターをしていた自分の父親の仕事がどんなものだったのかを知ることができた、という声もありました。
──素晴らしいですね。今後、プロジェクトを通してフィオナさんが取り組んでいきたいことはありますか。
デジタルの世界では、いろんなものを削除することはとても簡単ですよね。デリートボタンを押せば何でも消えてしまう。デザインをするとき、新しいバージョンに上書きする際に、古いバージョンを残していますか? 自分がどんな決断をしているのか、記録していますか? 誰と仕事をしているのか、記録していますか? そういったものをきちんと記録していくことが重要だと思うのです。私も大学では、生徒たちにきちんと記録を残すように奨励しています。
何年か前に、レディング大学で展覧会を開きました。〈Linotype〉時代のアーカイブの展示です。大学が所蔵しているアーカイブを見つけたのですが、それはまさに私が〈Linotype〉で働いていた頃に手がけた、他の人が描いたスケッチへのフィードバックでした。いま、お見せしますね。ただの作業用のドローイングですから、まさか人目に触れることになるとは思ってもみなかったものですが、展示を訪れた観客はこれを興味深げに読んでいました。当時の書体のデザインが最終の形になるまでに、どのようなフィードバックを経てどんな風に発展していったのかを知ることができるからです。デザインプロセスをきちんと記録し、それを残しておくことが大切です。皆さんがいまやってらっしゃること、なぜやっているのか、どんな決断をしているのか、少なくともそのプロセスのいくつかの段階を記録に残していくことです。何でも簡単にデリートしないでください。その習慣が変わっていったらいいなと思います。
タミル語書体のスケッチへのロス氏によるフィードバック(Photo Courtesy of Fiona Ross)
そうすることで、人びとが果たしてきた役割を、記録を通して認識することができます。タイプデザインの分野において、女性のデザイナーで名前が残ってる方もいらっしゃいますが、ごくわずかです。いままで注目を浴びてこなかった人たち、例えば(〈Women in Type〉のなかで記録が見つかった)ドーラ・レインさんというような方たちも、この活字産業の発展に大きく貢献しました。彼女は、ドローイングをどのように書体に展開するのか、どんな経緯によって最終的な形に辿り着いたのかについて記録を書いていました。このようなことは、彼女らが何をしていて、何に貢献し、どのような慣習があったのかを知る上で重要なことです。記録を通して、歴史のなかの彼らの存在をたどることができます。そのことに皆さんが気づいてくれたらいいなと思っています。
次回は2023年1月10日に「The Backroomsの謎:『ちょっと不穏な部屋』が巨大コンテンツになるまで」をお届けします。ファンが主体となってコンテンツを加筆・編集し世界観が拡張していく集団創作ホラー「The Backrooms」。 所有者も、登場するキャラもない摩訶不思議なIP/コンテンツの来歴を振り返ります。お楽しみに。
書籍『WORKSIGHT [ワークサイト] 17号 植物倫理 Plants/Ethics』
10月に発売された、リニューアル第1弾の書籍のテーマは「植物倫理」。
動きもしない。語りもしない。感情ももたない。そんな「生き物」と、人間はいかにして向き合うことが可能なのでしょうか。最も身近でありながら、最も遠い生き物との関係を考えるために、これまでとは異なる人間観や倫理が、わたしたちには必要なのかもしれません。
今回の特集では、現代美術家・岡﨑乾二郎さんの植物と倫理をめぐることば、世界的アーバンデザイナーのダン・ヒルが、音楽家ブライアン・イーノと考えた「ストリートデザインの原則」、日本未紹介の植物哲学者マイケル・マーダーの提唱する「プラント・シンキング」、民俗学者・畑中章宏さんによるレベッカ・ソルニット最新刊『オーウェルの薔薇』(11月刊行)の読み解き、三田の観葉植物店「REN」店主・川原伸晃さんとの談義「プランツケアの哲学」などを収録。植物・庭と人間との関係を手がかりに「ベジタル(植物的)な未来」を考察します。
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