彼女たちが形づくった活字:〈Women in Type〉が光をあてた女性たち【前編】
活字産業の発展において、女性が極めて重要な役割を果たしたことはあまり知られていない。日々、私たちが目にしている書体には、彼女らの数々の共同作業によってつくり上げられたものが多くある。20世紀を通じて誕生した多くの有名書体のデザインプロセスに大きく貢献した人物として、彼女たちはたしかに存在している。いままさに、私たちがリモートワークをしているこの自宅の画面のなかにも。
〈Women in Type〉プロジェクトのきっかけとなった1枚。1983年に撮影された〈Linotype〉社(イギリス)のタイポグラフィ開発部の写真。右から2番目がフィオナ・ロス氏。並んで写るのは、左からジョージナ・サーマン(後述)、レスリー・ソーウェル、サラ・モーリー、ジリアン・ロバートソン、ロス・コーツ、フィオナ氏を挟んで右奥にドンナ・ヤンデルが座る。© Collections of the Department of Typography & Graphic Communication, University of Reading
〈Women in Type〉は、長い間見過ごされてきた“女性による活字産業への貢献”を再発見するための研究プロジェクトだ。〈Monotype Corporation〉と〈Linotype Limited〉(旧〈Linotype-Paul Ltd〉と〈Linotype-Hell Ltd〉)という2社における1910年から1990年までの女性たちの役割と責任に焦点をあて、3年の研究期間を経て2021年に特設サイトで公開された。〈Monotype〉〈Linotype〉ともに、活字業界を牽引してきた世界的かつ歴史的なフォントメイカーだ(〈Linotype Limited〉は、アメリカの〈Mergenthaler Linotype Company〉のイギリス部門だった。後編で触れるように1997年にクローズ、ドイツ部門に引き継がれ、2006年には社全体が〈Monotype〉に買収されている)。
今回は本プロジェクトを先導する研究者で、現役のタイプデザイナーでもあるフィオナ・ロス氏に話を聞くことができた。「私個人がスポットライトを浴びることは、できるだけ控えているのですが……」と少しためらいながらも、膨大な研究を通して見えてきた女性たちの貢献と、他者の存在を認め記録しておくことの重要性について、歴史をなぞるように丁寧に語ってくれた。
interviewed by Sonoka Sagara / Kaho Torishima
text by Sonoka Sagara / Fumihisa Miyata
Fiona’s assistance by Hazuki Yoneyama (Hollom)
フィオナ・ロス|Fiona Ross 1954年生まれ。タイプ・デザイナー、言語学者。イギリス・レディング大学タイポグラフィ&グラフィックコミュニケーション学科教授。これまでにSoTA Typography Award(2014年)、TDC Medal(2018)などを獲得。著書にThe Printed Bengali Character and its Evolutionなどがある。
すべては1枚の集合写真から
〈Gill Sans〉という書体を聞いたことがあるだろうか。誰しもきっと、一度は見たことがあるだろう。2019年までの〈BBC(英国放送協会)〉、〈Tommy Hilfiger〉 、〈Toy Story〉などのロゴにも使われている書体で、イギリスで最も広く使われている書体のひとつだ。では、エリック・ギルはどうだろう。〈Gill Sans〉の作者で、イギリスを代表する彫刻家である。1989年にフィオナ・マッカーシーによって書かれた伝記のなかでギルの私生活が公表され、ギルによる性的虐待の事実が明るみに出た。この事件は、つくり手と作品の関係性や、そのような作者による書体をキャンセルすることの是非についてたびたび議論を巻き起こしてきた。さらには、タイプデザインは本当にひとりの男性デザイナーによるものなのか、というさらに根源的な疑問をも浮かび上がらせたのだ。デザインの歴史を振り返った際に、男性ヒーローばかりが目立つのはなぜなのか。私たちがそれらの疑問を調べていくなかで出会ったのが、ロス氏と彼女のチームによって発表された〈Women in Type〉であった。
ロス氏はこのプロジェクトの主導者であり、〈Linotype〉初の女性マネージャーとして活躍した、現役の書体デザイナーである。フィオナ氏との対話と、集められた数々の記録を通して、当時たしかにそこにいた女性たちの存在と貢献をたどる。
── 〈Women in Type〉は、どのようなプロジェクトなのでしょうか。
イギリスのレディング大学タイポグラフィ&グラフィックコミュニケーション学科で、2018年から2021年の3年間にわたって実施された研究プロジェクトです。活字産業において女性がどのような役割を担ってきたのか、アーカイブや歴史を通して、信頼できる記録をつくることを目的としていました。
──どうやって始まったのですか。
きっかけは1枚の写真です(前掲)。1983年に撮影された、〈Linotype〉イギリスのオフィスでの私の部署のチーム写真ですね。その写真が2000年代の初頭に入って注目されるようになり、書籍にも掲載されました。ソーシャルメディアでも「このチームは女性ばかりだ」「当時、職場にこんなにも女性がいたのか」と話題になりました。
──エリック・ギルの事件について私たちも調べていくなかで、デザイン史におけるヒーローが、いつも白人男性であることにも改めて疑問を感じました。実際には、こんなにも多くの女性が書体制作の現場に存在したのですね。
そうですね。活字業界で働く女性たちの貢献は、歴史のなかで長きにわたり見過ごされてきました。その状況を解決したいと思っています。〈Gill Sans〉の作者であるギルが家族や動物を虐待していたことは、30年以上前にすでに明らかになっており、いまもなお注目を浴びている。ギルの事件について私は専門家ではないので、意見を述べることは難しいです。しかし一方で、私たちは現在〈Women in Type〉の研究を通して、女性と活字産業をめぐる歴史の事実を明るみに出すことに挑戦しています。彼女たちが生きていて、記録が存在する間に議論を続けているのです。このことについては、喜んでお話ししたいと思います。
──ありがとうございます。ぜひお話を聞かせてください。きっかけは1枚の写真だったということですが、やはり当時女性ばかりのチームは珍しかったのではないでしょうか。
意図的に女性ばかりにしたわけではなく、そこにいたのがたまたまみんな女性だったのです。少なくとも13年くらいは一緒に仕事をしたと思います。活字産業においては、「書体のデザインに女性は関与していない」という誤解があります。書体は、スタジオ内の(デザインの天才かのような)男性によってつくられていると思われていました。けれど、そんなことはなかったのです。私たちは、このプロジェクトを通して、女性たちの貢献についてロマンチックに語るよりも、正確な記録をつくりたいと思いました。
──そしてプロジェクトが動き出した。
女性たちの存在が明らかになり、世間で話題になったとき、〈Tiro Typeworks〉社のジョン・ハドソンとの会話のなかで「当時オフィスにいた人たちにインタビューをしてみよう」という話になりました。私は現在、教育者でもあり、レディング大学のタイポグラフィ&グラフィックコミュニケーション学科でタイプデザインの教授を務めています。プロジェクトのチームメンバーにもなった、アリス・サヴォワとも同僚として一緒に仕事をしています。
──ジョン・ハドソンさんはキリル文字のタイプデザインで、アリス・サヴォワさんは〈Lucette〉といったタイプデザインで知られる方々ですね。
アリスは〈Monotype〉で働いていました。そして彼女も、〈Monotype〉でも創業以来、多くの女性が働いていた長い歴史があることに気づいていました。そこで、私たちはこのことをさらに調べてみることにしたのです。
〈Monotype〉 オフィスワーカーの集合写真、1930年頃。提供:Richard Cooper
有名デザイナーたちの陰で
──女性が多かったのは、フィオナさんのチームだけではなかったのですね。
男性のヒーローのみが存在したわけではなく、その裏側に女性がいて、彼女たちの貢献が芸術全般に変革をもたらしてきました。タイプデザインにおいても同じです。その事実を伝えたかった。印刷の歴史において、活字のデザインは見落とされがちだと感じてきました。ビジュアルコミュニケーションにおける活字のデザインは、とても重要です。その役割自体の重要性についても、伝えていきたいのです。
──研究は、どのようにして進めていったのでしょうか。
大学の支援を得て、2016年にパイロットプロジェクトとして始めました。研究を始めるにあたってまずは、いまでもインタビューできる人たちが生きているのか、当時を知っている人がいるのか、アーカイブの資料がきちんと残っているのかなどを確認しました。そして、〈Monotype〉と〈Linotype〉の2社でそれらの記録を見つけました。共に19世紀末に設立された両社は、20世紀の活字産業を代表する企業です。この2社にフォーカスすることで、世界中に研究を拡大していくことができました。
──フィオナさんとアリスさんの所属していた2社でもありますね。
他にもたくさんの企業がありました。モリサワ社をはじめ色々な会社がありますが、広く浅くではなく、深く深く掘り下げていく必要がありました。そのため、私たちは慈善団体である〈リーバーヒューム・トラスト〉からの支援を得て、3年間のプロジェクトに着手しました。この段階でもうひとりの博士研究員、ヘレナ・レイカーの協力を得ました。 このようにして、タイプデザイナーとしての私たちの目を通じ、タイプデザインの歴史を3つのレンズから見つめることにしたのです。社会的な歴史、技術的な変化、そしてデザインへの貢献ですね。
──活字製造に携わっていた人たちの仕事内容は、どのようなものだったのでしょうか。
活字製造会社は色々ありましたが、1950年代の金属活字全盛の時代から1990年代までの多くの製造会社のうち、それなりの規模の工場ならば、ほとんどがきっちりとした製図事務所をもっていたと考えていいでしょう。時代や会社によって役割は異なっていて、〈Monotype〉や〈Linotype〉の場合も、製図室はさまざまな仕事を担当していました。デザイナーが描いた原画を、フォントの製造に適した形にすることも含まれます。特に〈Monotype〉においては、既存の書体デザインを金属活字やその後のデジタル活字の技術に変換するために使用されました。また、通貨記号やアクセント記号を含む文字セットの拡張や、ボールドウェイトやイタリックなどの追加スタイルの作成などです。一言でいうと、書体のオリジナルのデザインを、機能する活字書体へと仕上げていくことでした。
時代が進みデジタル組版が前面に出てくると、パトリシア・ソーンダースのような人々が、〈Monotype〉のデジタル初期に登場します。〈Linotype〉にいた私たちも同様にオリジナルの新しいデザインを生み出していました。しかし、当時〈Monotype〉と〈Linotype〉には、有名なデザイナーの名前しか出さないという慣習がありました。これは主にマーケティングと営業の目的からでした。
パトリシア・ソーンダース(当時パトリシア・マレット)、1955年、22歳、〈Monotype〉製図室にて。© Monotype Archives
──パトリシア・ソーンダースさんは、〈Arial〉や〈Corsiva〉、〈Columbus〉など現在も使われている象徴的な書体をデザインしていますね。最終的に、彼女の名前は表に出たのでしょうか。
書体のデザインをしていた全員がタイプデザイナーだったかというと、そういうわけではありません。ドローイング・クラーク(製図事務員)と呼ばれたパトリシア・ソーンダースのような人たちが、タイプデザイナーと呼ばれることは、決してありませんでした。彼女の仕事が実際に、書体をデザインする仕事であってもです。〈Linotype〉のジョージナ・サーマン(トップ画像参照)もそうでした。私たちはこのプロジェクトで、タイプデザインにおける共同作業の側面も取り上げたいと考えていました。ギルや、(〈Romulus〉などのタイプデザインで知られる)ヤン・ファン・クリンペンのような著名な男性タイプデザイナーたちもまた、自分の書体を完全にひとりでつくることは不可能だったでしょう。当時、金属活字を製造するには図面をつくる必要がありました。1920年代後半から1930年代にかけて、〈Monotype〉製図室のスタッフはほとんどが女性で、12〜15人に及んでいたことがわかっています。そして、マトリクス(活字をつくるための母型)をつくるためには〈Monotype〉機か〈Linotype〉機である必要がありました。
マトリクスに使用する銅のパターンの精度を確認している〈Monotype〉の女性たち 提供:Richard Cooper
一緒に仕事をするということ
──多くの書体がそうであるように、〈Gill Sans〉もまた、エリック・ギルひとりによるものではなかったのですね。
その通りです。もうひとつ〈Monotype〉周辺で興味深かったのは、製図所を始めた人たちは必ずしもあらかじめドローイングスキルをもっていたわけではなく、グラマースクール(入学試験が必要な学校)の出身だった、ということです。そして、スタッフの離職率が非常に高かったのも当時の〈Monotype〉の特徴です。女性は、結婚したら仕事をやめるのが一般的でした。例外として、長い間働き続けたふたりの女性がいました。ドーラ・プリチェットとドーラ・レインです。たしかひとりは44年もの間、もうひとりは少なくとも29年間働いていたと思います。それは、彼女らが未婚で、子どももおらず、夫に先立たれた母親の面倒を見なければならなかったからでしょう。
──そもそも、なぜ多くの女性が採用されていたのでしょうか。
女性は男性よりも安く雇えるという理由からだと思います。また、女性はあまり労働組合を組まない傾向があるというのも理由のひとつです。〈Linotype〉では、(〈Times Europa〉などを手がけた)デザイナーのウォルター・トレーシーが女性たちを雇ったとき、レター・ドロワー(文字の製図家)と呼んでいましたね。〈Monotype〉では女性たちはドローイング・クラーク(製図の事務員)やスタッフと呼ばれていました。そして、〈Linotype〉の女性たちは、監督者を除けば、Monotypeの女性たちよりもさらに若かったか、あるいはやや低学歴でした。
〈Monotype〉社の社員、ドーラ・レインが10インチサイズでアラビア文字を逆さに描いているところ。写真は1950年代後半に撮影されたものと思われる。提供:Richard Cooper
1928年12月から1932年3月にかけて、ドーラ・レインが日々の仕事を記録したノートの1ページ © Monotype archives
──フィオナさんが〈Linotype〉に入社したのは、1978年ですね。
はい、私は研究助手として入りました。デザインではなく、言語学のバックグラウンドからですね。事情があり当時のマネージャーが辞めてしまったので、しかたなく私が書体の図面を担当することになりました。そのため私は、デザインや美術学校の既卒者を採用することにしました。先ほど触れたデザイナーのウォルター・トレイシーは退職する際に、「美術学校の卒業生は、あなたに(わからないことを)質問をしてくるだけで、実際に一緒に仕事をするのは難しいでしょう」と言っていました。(女性たち一人ひとりを、確固とした仕事の担い手と考える)私はこう答えました。「いえ、彼女たちにはまず、(主体的に疑問を抱いて)質問してもらわなければなりません。私は、ただ一方的に知識を伝えるためにいるのではありません」と。
1983年の写真に写っている彼女たちは、数人のアシスタントを除き、現場で素早く知識を身につけながら、書体開発のための研究に参加することを奨励された既卒者です。私たちのチームでは、南アジア、タイ、そしてアラビア文字の書体も扱っていました。
「ただの女の子」と思われても
──書体をつくる上で女性たちが重要な役割を果たしていたことはわかりました。先ほど「タイプデザインにおける共同作業」ということばを使われていたと思います。役割分担において、性別は関係なかったということでしょうか。
もちろん当時、ジェンダーバイアスは存在しました。〈Linotype〉はもともと印刷会社であったことを忘れてはいけません。この労働組合の組合員はほとんどが男性で、かつ非常に重労働である業務に従事していた人たちでもあったのです。そして会社はおそらく、大学卒の女性を採用することに慣れていませんでした。当時、私がミーティングに参加すると、部門を取り仕切るマネージャーとしてではなく、議事録を書くために参加していると思われていました。ジョージナ・サーマンはのちに、「あの部屋では、私たちはただの女の子だと思われていました」と話しています。当時、私たちの仕事を評価してくれる人は数少なかったですが、一部の人びとからはきちんと評価をされていました。例えば、海外の同僚です。インド、パキスタン、そしてレバノンなど、中東や北アフリカの国々を代表する人たちがいました。その人たちや、私たちの仕事に欠かせないエンジニアとは、とてもよい関係性を築いていました。しかし、それ以外の人や管理部、経営層は私たちのことを、オフィスの端っこでただ絵を描いているだけの女性としか見ていませんでした。
──なるほど。悲しいですが、想像がつきます。条件面ではどうでしたか。
人事部長からも、あまり価値がないアーティストとしてしか見られておらず、給与交渉は難しいことでした。実際に、当時パトリシア・ソーンダースが〈Monotype〉の給与体系を調べてみたところ、彼女は高いスキルをもっていたにもかかわらず、スキルが低い男性社員に比べ給与が低かったことが判明しました。その当時の女性は、給与を上げてもらうためには闘わなければいけなかったということが、インタビューでもはっきりわかりました。
──実際に、当時の女性たちは闘ったのですか。
闘うことは難しかったです。ほとんどの女性は男性の権威者に対して、疑問を抱くことはありませんでした。彼女たちが自身のスキルや貢献を認めてもらうために闘うということは、現実としては非常に稀でした。今回のプロジェクトを通して少なくとも18人の男女にインタビューしましたが、女性のなかにはインタビューを受けたくないという人たちもいました。
──それはなぜでしょう。
彼女たち自身が自分の仕事に誇りをもっていなかったからです。残念なことですよね。前半でも申し上げましたが、多くの女性が結婚を機に仕事から離れました。私の時代には多くの女性が残っていたのですが、かつては退職することのほうが普通だったのです。
──結婚後も仕事を続けたい、という考え自体が珍しかったのでしょうか。
当時は例外的な考え方でした。20世紀末に至る前までは、女性たちが結婚後も仕事を続けるということはほとんどありえなかった。あなた方がいま、ひとりの人間として独立して働いているような生き方は、不可能だったのです。なぜなら、書体の開発に携わるためには専用の機材やツールが必要だからです。それらは会社にいない限りは個人として所有することはできず、(結婚して会社から離れる女性たちは通常)独立したデザイナーになることができなかったのです。タイプデザインというのは、多くの女性にとって自分たちの人生の本当に一部でしかなかった。そのため、一部の女性たちは自分たちの仕事を過小評価し、インタビューを受けることに抵抗を感じていたのです。例えば、先ほどお話ししたジョージナさんでさえ「お話はできますが、私はその後美術教師をしているし、このプロジェクトに有益な情報の提供や貢献はできないと思う」と言っていました。しかし実際、彼女の話はとても多くの情報を提供してくれましたし、大きな貢献をされていたという事実を記録として残すことができました。
──いま私がこうして、インターネットを通して常にチームとつながり、家からデザインのツールにアクセスできている状況のありがたさを改めて感じました。
今日からは想像しづらいことかもしれませんが、あなたや若い世代の人たちがこうして日々、自宅でデザインの仕事を行っているのは素晴らしいことだと思います。これはいま、私にとっても大きなボーナスです。以前は資料のやりとりに何カ月も待たなければならなかったのが、インターネットのおかげで、いまでは海外に住む同僚とも一緒に仕事ができるようになりました。
時期不明の〈Monotype〉の風景。提供:Richard Cooper
次週12月27日は「活字の発展は、クレジットとともに:〈Women in Type〉が光をあてた女性たち【後編】」をお届けします。クリエイティビティにおいて人を認めること、名前を記録として残すこと、クリエイティビティに与える影響と、今日的な意義を考えます。
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