境域に咲く花:レベッカ・ソルニット最新刊『オーウェルの薔薇』を読む【畑中章宏・特別寄稿】
レベッカ・ソルニットの最新刊は、ジョージ・オーウェルが1936年に自宅の庭に植えた薔薇からはじまる。戦争の時代に生き、政治的な著作でも知られる作家が、庭いじりをし、薔薇を植えたことはどのような意味をもちうるのか。またソルニットはそんなオーウェルに何をみたのか。日本語版が刊行されたばかりの『オーウェルの薔薇』を民俗学者・畑中章宏さんがレビューします。
『災害ユートピア:なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』『ウォークス:歩くことの精神史』『迷うことについて』などでユニークな角度から社会/精神のかたちを描いてきたレベッカ・ソルニット。イギリスの作家・批評家ジョージ・オーウェルの、彼自身が育てた「薔薇」と庭への情熱に光を当て、その精神の源を探る最新刊にして傑作『オーウェルの薔薇』の日本語版が11月11日に刊行されました。これまで語られることのなかった作家と植物との親密な関係。嘘と虚妄の時代にあって、多義性に満ちたその花にはいったい何が託されていたのか。民俗学者・畑中章宏さんによる『オーウェルの薔薇』の書評を、『WORKSIGHT 17号 植物倫理 / Plants Ethics』から転載してお届けします。
オーウェルが好んで育てたとされる「アルバーティーン・ローズ」(garfotos/Alamy Stock Photo)
境域に咲く花
レベッカ・ソルニット最新刊『オーウェルの薔薇』を読む
Text by Akihiro Hatanaka
さまざまな肩書
ジョージ・オーウェルも、薔薇も、ひじょうに多義的な存在だ。そしてこの本は多義的な作家が庭に植えた多義的な植物をめぐって、やはり多義的な著述家であるレベッカ・ソルニットが多彩な角度から叙述したものである。
まず1936年の春、ロンドン北部に位置する村ウォリントンの自邸の庭に薔薇を植えた、ジョージ・オーウェルの多義性とはどういうことか。
オーウェルの肩書は、「小説家」「評論家」とされたり、「作家」「ジャーナリスト」と呼ばれたりする。インターネット上のフリー百科事典では、こうした職業に加えて「民主社会主義者」と定義づけている。いまこの世界で「民主社会主義者」という肩書がどのような意味をもつかという問いは、多義性とともにオーウェルの複雑さを表す指標なのかもしれない。
ソルニットの指摘に従えば、オーウェルがその著作で反対したものは、「権威主義と全体主義、嘘とプロパガンダ(また杜撰さ)による言語と政治の堕落、自由を下支えするプライバシーの浸食」などであり、ではその反対の立場がオーウェルの立場だと言い切れるかと言えばそれほど単純ではない。オーウェルは、「保守アナキスト」を自称したことがあり、また反逆者や革命家といった性格をイメージする人も少なくないが、「伝統、安定、質朴、家でのお決まりの仕事」といったものを愛してやまなかったと、ソルニットは言う。
オーウェルのことをまた「庭師であり観察者」だと評したソルニット自身も、さまざまな肩書で紹介される。作家、歴史家、エッセイストといった穏当な肩書とともに、アクティヴィストと併記されることもある多義的な存在である。
『1984』『動物農場』などの小説で知られ、「ビッグブラザー」「コールドウォー」といった現在でも頻繁に使用されるタームを世に放った鋭い批評家でもあったジョージ・オーウェル。(Pictures from History/Universal Images Group via Getty Images)
ありふれた植物を植えること
薔薇というひじょうにポピュラーな植物も多義性を孕んでいる。
まずそのポピュラリティについて言えば、西洋世界においては壁紙の模様となり、ランジェリーから墓石にまであらゆるものの上に描かれる。そして求愛、結婚式、葬儀、誕生日、その他多くの機会のため、つまり喜び、悲しみ、喪失、希望、勝利、そして快楽のために使われる。また、棘は薔薇を際立たせているもののひとつであり、薔薇が気まぐれな麗人やファム・ファタールとして擬人化される要因になっている。
薔薇は多くの場合、植物としては自然そのもの、野生であるより人工的に栽培されたものである。 オーウェルがそうであるように、個人の庭で栽培され、愛でられることもあるが、薔薇はわたしたちの目の前に、植物であるとともに〈商品〉として現れる。商品として工場でつくられ、人から人に贈与される薔薇の生産現場(南米コロンビアのバラ工場)についても、本書ではルポルタージュされる。
しかし、ソルニットが言うように、「薔薇はあらゆるものを意味するので、ほとんど何も意味しなくなるおそれもある」。例えば誰かが「薔薇が好き」だと言っても、何かしらの主義や趣味を主張したことにはなりにくい。つまり薔薇は多義性とともに、無意味さや「ありふれている」という属性も抱えているのだ。
〈戦争〉と〈植樹〉
「戦争の反意語があるなら、時には庭がそれに当たるのかもしれない。人びとは森や牧草地、公園、庭園に独特なたぐいの平和を見出してきた」
本書のなかで、オーウェルの戦争だらけの生涯について、ソルニットは簡明に素描している。オーウェル(本名エリック・アーサー・ブレア)が生まれたのは1903年6月25日、ボーア戦争の直後で、思春期を迎えたのは第一次世界大戦のさなかだった。ロシア革命が起こり、またアイルランド独立戦争が激化して1920年代へとなだれ込んだ時期に成人を迎える。1930年代は、第二次世界大戦の戦禍に向けて突き進んでいく状況の目撃者となり、1937年にスペイン内戦を戦った。ドイツ軍の爆撃にさらされるロンドンに住んで空襲で焼き出され、1945年には「冷戦」という、その後、世界中に定着する語を編み出した。そして1950年1月21日に死を迎えた。
しかし、オーウェルは、これらの戦いと脅威にかなりの注意を奪われたものの、それだけに気を取られたわけではなかった。彼が戦争と冷戦の時代に時間を取ったことのひとつが「庭いじり」だった。
1936〜47年にかけて借りていたウォリントンのコテージ(Jason Ballard/Alamy Stock Photo)
「植樹は、特に長命な堅い樹を植えることは、金も手間もほとんどかけずに後世の人に残すことのできる贈り物であり、もしもその木が根づけば、善悪いずれにせよほかの行為の目に見える結果よりも、はるかにあとまで生き延びるだろう」
そんなオーウェルは、安価な薔薇の苗と果樹を買って植えた場所を再訪したとき、自分が後世に対して植物によって、ささやかな貢献をしていることを自覚したと言うのである。
野生の薔薇を旅する
薔薇は植物のなかでバラ科に属する。バラ科は4000以上を超える種からなり、林檎、梨、アプリコット、プラム、桃もそこに含まれる。またブランブル(キイチゴ)、ブラックベリー(クロイチゴ)やラズベリーなど、野薔薇と似た花を咲かせる果樹もバラ科に入る。
野薔薇の花は果樹の花と同様に5つの花弁をもち、中国、ヨーロッパ、また中東でランダム変異から品種改良された薔薇が多弁の形状を発展させた。紀元前3世紀の哲学者のテオプラストスや、『博物誌』を著した大プリニウスも紀元1世紀代に100弁の薔薇について語っているという。
それからかなり経った20世紀の前半、ある日本人がこんな文章を書いている。
全体にこの木の多くある処は、里や林をやや離れた、寂寞たる砂原が多かった。風に吹き撓められた高山の匍松帯のごとく、人の足も立たぬように密生している。……八重の薄桃色の薔薇にばかり馴れた目には、古代な紅色の単弁が、何よりもなつかしく感じられる。夏の北海の静かな真昼、白い長い沖の雲をこの木の傍に休んで見ているような心持が、まだわれわれに残されてある歌だ。
「草木と海と」と題した随筆中で「この木」と描かれているのはハマナスのことで、1926年にこの文章を書いたのは民俗学者の柳田国男(1875-1962)である。
ハマナスは、バラ科バラ属の低木樹で、耐寒性が強く海岸などに自生し、初夏に花をつける。原産地は日本から東アジアで、英語では「Japanese Rose」と呼ばれることもあり、柳田の文章中では中国風に「玫瑰」とも記される。日本では北海道で最も多く見られ、観賞用としても栽培されているが、柳田はこの野生の薔薇にいたく惹かれていたようだ。
実は羽越線の吹浦、象潟のあたりから、雄物川の平野に出てくるまでの間、浜にハマナスの木がしきりに目についた。花はもう末に近かったが、実が丹色に熟して何とも言えぬほど美しい。同行者の多数は、途中下車でもしたいような顔付をしているので、今にどこかの海岸で、たくさんにある処へ連れて行って上げようと、ついこの辺までくることになったのである。(「清光館哀史」1926年)
この日本民俗学の創始者は、自然に咲く花だけを追い続けたわけではない。そこに何かしら人の手(民俗)が加わっていないかどうかを、いつも問いながら旅をした。つまり、一見野生(天然、自然)に見える植物が、おそらくは女性の民間宗教者の手で運ばれたのではないかと想像し、柳田は「椿は春の木(講演)」や「信濃柿のこと」を残した。
柳田国男の薔薇
ソルニットの『オーウェルの薔薇』は、写真家が撮った薔薇、フェミニストにとっての薔薇、そしてスターリンが植えさせたレモン、エネルギー資源、採掘労働としての石炭など、さまざま境域にわたる。薔薇や庭、あるいは「植物を植える」という行為をめぐる、ソルニットの思考の旅に同行するなかで想起するのは、オーウェルと近い時代を生きた日本人と薔薇についての物語である。
例えば、「薔薇」という2文字を「そうび」と読ませ、副題を「病める薔薇」とした佐藤春夫(1892-1964)の『田園の憂鬱』は最も直接的なものだろう。薔薇を主題としながら、文芸思潮上の「自然主義」に異を唱えたこの中編小説は、いわゆる私小説とは一線を画しながら、作家の実体験をもとに、郊外生活(神奈川県都筑郡中里村大字鉄。現在の横浜市青葉区鉄町)の癒やしを突き崩す薔薇の虫食いという事態を”耽美的”に描いている。
あるいは社会主義者の山川均(1880-1958)と山川菊栄(1890-1980)夫妻は、オーウェルがウォリントンの庭に薔薇を植えた前の年に、神奈川県鎌倉郡村岡村(現在の藤沢市村岡地区)で、生計を立てるためうずらの飼育を始めたが、その農園には薔薇が植えられていた。ラディカルなアクティビストだったふたりは言論活動に対する制約を余儀なくされた時代に、畜産と庭いじりの日々を送ったのである。
また1927年9月、52歳の柳田は、27年間暮らした牛込・加賀町の養家を出て、北多摩郡砧村(現在の世田谷区成城)の分譲地に新築した家に移り住んだ。
家をとりまく垣根は、学園側(成城学園:引用者註)との申し合わせでできるだけ目立たないようにつくられた。五〇センチほどの高さの四つ目垣にはつるばらを這わせ、道を通る人の目を楽しませた。(堀三千『父との散歩』人文書院、1980年)
柳田は野生の薔薇を旅し、信仰をもとに植えられた草木について考えを深めるとともに、庭の垣根に薔薇を植えていた。民俗学者が郊外につくった庭は、まさに〈自然〉と〈人工〉の地理的、観念的な境界上にあるものだったろう。
私などもまだ学生の時に、どこかの高台のはずれに来て、晴れたる川の水煙を眺めたことがある。あるいはくぬぎ原の暖い草地に寝ころんで、年とってからどこに行って住むだろうかを、考えてみたこともあった。その林の間には、めったに人の通らない細路があった。それがちょうど今の家の、庭のあたりであったような気がして仕方がない。(「旅と故郷」1930年)
柳田が過ごした東京郊外の庭がもつ境界性は、オーウェルほど政治的、経済的、社会的に引き裂かれたものではない。しかし、オーウェルと同様に戦前、戦中を生き、実際にも民俗的観念上も植物や動物(あるいは霊魂や妖怪)を観察し続けた柳田も、また抵抗者であった。
オーウェルの墓前に植えられた薔薇の花(Jim Dyson/Getty Images)
嘘と虚妄の時代にあって、庭は、成長の過程と時の推移、物理学、気象学、水文学、生物学といったものからなる王国を、そして五感の王国を、みずから学ぶためのひとつの手立てなのである。
冷戦が終わり、戦争状態に突入しつつある時代のかけがえのない抵抗者であるソルニットがこんなふうに書いたように、〈庭いじり〉は決して〈気晴らし〉ではないのである。オーウェルは本を書く理由として、「あばきたいと思う何かの嘘がある」ことや、「注意を引きたい何かの事実がある」ことを挙げていた。その上で、その仕事が「美的経験」でもあることが必須だと述べた。これを受けてソルニットは、政治課題がパンであるときでさえ、「あふれ出るのは薔薇なのだ」と評した。
今日、プロパガンダを免れてこの世界を生き、言論活動を送るにはどのようにすればいいのか。「庭師」として、また「自然観察者」として多義性の境域に花を植え、そこに咲く花に視線を送り続けることこそ抵抗の手段だと、この本は美的に訴えているのである。
レベッカ・ソルニット『オーウェルの薔薇』
岩波書店/川端康雄、ハーン小路恭子・訳
『ウォークス:歩くことの精神史』『迷うことについて』『それを、真の名で呼ぶならば』などで知られる異色の批評家・文筆家・アクティビストが作家ジョージ・オーウェルと薔薇との知られざる関係を通して、オーウェルに新たな光を当てるとともに、植物を通じて社会政治を新たな切り口から読み解く注目作。日本語版は、11月11日に岩波書店より発売。原著“Orwell’s Roses”は、2021年刊行。
畑中章宏|Akihiro Hatanaka 作家、民俗学者、編集者。1962年大阪生まれ。近畿大学法学部卒業。近刊に『五輪と万博』(春秋社)、『廃仏毀釈:寺院・仏像破壊の真実』(ちくま新書)、『医療民俗学序説:日本人は厄災とどう向き合ってきたか』(春秋社)、『忘れられた日本憲法:私擬憲法から見る幕末明治』(亜紀書房)などがある。
次週11月22日は、「洗いざらしのコミュニティ:コインランドリーは公共の夢を見る【前編】」をお届けします。国内で業界を代表する2社に取材して見えてきた、草の根の「コミュニティ」空間としてのコインランドリーとは。お楽しみに。