絵文字は本当に世界"共通"?
たった1文字でも、多くの感情や情報を伝えられる絵文字(Emoji)は、「これは誰にでも伝達可能なヴィジュアル言語なのだ」と考えられがちかもしれない。ただその伝わり方や使用法には、文化やコミュニティによって細かな違いがあり、だからこそ思わぬ使い方もありえるのだ。絵文字は常に、自らを取り囲むフレームを食い破る。ヴィジュアル・コミュニケーションの研究者と一緒に、絵文字の“字間”に分け入っていこう。
Image by WORKSIGHT; Apple/Unicode
絵文字は楽しい。そして意外に、難しい。メールやSNSで頻繁に使われている絵文字は便利な一方で、フォーマルな場で使うとハレーションを引き起こしたり、使い方によっては「おじさん構文」というように非難や揶揄の対象になったりする。
身近なのに、正体がつかみづらい絵文字。昨今のリモートワークの浸透によって、私たちは映像でコミュニケートすることにも慣れたが、同時にリモート環境においては、テキストベースでのコミュニケーションの重要性も増してきた。私たちの固定観念を覆して、たとえばビジネスの場のコードに絵文字が組み込まれる日は、そう遠くないかもしれない。
果たして、絵文字がフォーマルなものになることはあるのだろうか? そもそも絵文字はどのように成り立ち、どんなポテンシャルを秘めているのだろうか。
ヴィジュアル・コミュニケーションとヴィジュアル言語を専門とするアメリカの認知科学者、ニール・コーン氏は、その問いに取り組むにあたってうってつけの人物かもしれない。日本でも2020年(電子書籍は2022年)、マンガに関する著書の邦訳が出版されたコーン氏は、オランダのティルブルフ大学認知・コミュニケーション学科に籍を置き、同学科に設けられた「The Visual Language Lab」の中心人物でもある。
コーン氏との対話から見えてきたのは、絵文字はみんなのもの、というテーゼだ。誰かがすでに定めた絵文字を使うことだけが、絵文字の可能性ではない。たとえば、いまこの瞬間も、医療用の絵文字を増やすべく活動している人びとがいるように。
interviewed by Sonoka Sagara / Kaho Torishima
text by Fumihisa Miyata
ニール・コーン|Neil Cohn アメリカの認知科学者。タフツ大学で認知心理学の博士号を取得、現在はオランダのティルブルフ大学認知・コミュニケーション学科講師。2020年、『マンガの認知科学:ビジュアル言語で読み解くその世界』(中澤潤訳、北大路書房)が刊行されるなど、ヴィジュアル・コミュニケーションとヴィジュアル言語に関する先駆的な研究で知られる。Photo by Dan Christensen
デジタル・コミュニケーションに必要不可欠
「私は日本に住んでいたことがあって、日本語が喋れるんですが、あまり上手じゃないんです。だからインタビューは、全部日本語では喋れないんですけれど……」と、コーン氏は、にこやかに語りはじめた。
氏は、言語学と心理学の世界に入る前、日本と仏教に関するアジア研究をしており、交換留学生として都留文科大学で学んだ経験がある。「20年ほど前のことです。山梨県に住んでいました。山並みが、すごく綺麗なところでしたね」
その後、比較文化的な関心はもち続けつつ、コーン氏は現在の専門へと軸足を移していった。いまでは自らグラフィック・ノベルまで執筆する氏だが、そんな専門家の目には、ヴィジュアル言語のひとつである絵文字は、どのように映っているのだろうか。
「今日の人びとのデジタル・コミュニケーションにおいて、絵文字は欠かせないものになっています。テキストだけのコミュニケーションでは、声の響きや手の動き、ジェスチャー、イントネーションといった多くの情報が失われてしまいますが、絵文字はそのような情報をすくいあげ、コミュニケーションをより豊かにしてくれるのです」
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「個人的なエピソードですが……」と前置きをして、コーン氏はこういった。「私が初めて絵文字に出会ったのは、20年前、日本に住んでいたころ。NTTドコモの携帯電話に、絵文字が入っていたんです」
「普遍的で万人に理解される」という誤解
絵文字の起源や歴史に関しては、さまざまな議論が可能だろう。1982年、カーネギーメロン大学のオンライン掲示板で生まれた、笑顔のテキスト表現「:-)」に重きを置く見方もある一方で、国立イスラエル博物館では2019年、絵文字を古(いにしえ)のヒエログリフと結びつける展覧会が開催されていた。
ただデジタル・コミュニケーションにおける使用がひとつの規格として一気に広まったのは、コーン氏が直に体感した、NTTドコモ・iモード(1999年)における実装だったのはたしかだ。すでにポケベルで使われていたハートマークを起点に、一揃いの絵文字が開発されていったエピソード──“日本発”という絵文字の側面は人口に膾炙している。
規格化していく絵文字の世界に、各携帯電話のキャリアおよびGoogleも参画。2010年にはUnicode 6.0に採用され、グローバル化が進んだ。互換性のもと、私たちが国内外問わず、文字化けなしに絵文字をやりとりできるようになったのは、この10年あまりのことだといえる。あるレギュレーションのもとに世界中で使われる、絵文字がそんな存在になってからの歴史は、当然ながら浅い。
規格が生まれたことによって、絵文字は普遍性と個別性の両輪を抱えることになった。「絵文字を含めたヴィジュアル・コミュニケーションにおいても、文化的な差異というものはあります。『ヴィジュアル・コミュニケーションは、普遍的で万人に理解される世界だ』という神話があるのではないか、と私は思っています」──と、コーン氏は語る。
「たとえば西洋の人びとは、東京タワーの絵文字(🗼)を、エッフェル塔だと感じるでしょう。もちろん、東京タワーとエッフェル塔は似て非なるものですが、エッフェル塔の絵文字がないために、勘違いしてしまうのです。これは絵文字の例ではありませんが、日本のマンガで鼻から泡が出ているという表現(=鼻提灯)があるでしょう。誰かが寝ている、あるいは眠いとか疲れているといった意味ですが、欧米の文化では、その人が鼻水を垂らしていたり、泡を出していたりすると思うだけで、眠気を意味するとは理解しません」
ヴィジュアル言語はたしかに、テキストだけでは伝わらない豊かな情報や情感を伝えてくれる。だからこそ、そのヴィジュアルを読解するコードの違いによる誤配も生まれる。ヴィジュアル・コミュニケーションの神話を、その内側から揺さぶるものとして、絵文字は息づいている。
「おじさん構文」が生まれる背景
そして、すべての絵文字が半永久的に使用可能だとは限らない。絵文字にも、使い方にも、賞味期限があるのだ。冒頭で触れた「おじさん構文」に話を向けると、コーン氏は「それについては、話し言葉のスラングに似ていると私は思っています」と語ってくれた。
「ある年代の人たちが特定の絵文字の使い方をしながら年を取り、そして若い世代が同じ目的で異なる絵文字を使いはじめたとします。すると年上の人たちの使い方は、『古い人たちのやること』になってしまうのです。たとえば、若い世代がドクロで笑いを表現しはじめて、以降ずっとドクロを笑いの表現に使うとします。するとやがて、その絵文字を使う人たちは(かつては新しかった「笑い」の意味でのドクロを使いつづけることによって)自らを古い人間だと示すことになるのです」
これには、すこし説明が必要かもしれない。氏によれば欧米では、若い世代が笑った顔の絵文字をあまり使わなくなってきていることが話題になっている、というのだ。そのかわりに使われるのは、ドクロ(💀)の絵文字。これを使うことによって「笑い死にしそうだ」というニュアンスを表すそうだ。
「もしいま、若い人が年配の人に『笑っている』というニュアンスで💀を送った場合、もしかしたら『死んでいる』とか、もっとネガティブな意味に誤解されるかもしれません。世代によって絵文字の使い方が違うだけで、ここまでの誤解が生じる可能性があるのです」
そしてやがては、笑い死にしている💀がふりまく冗談めいた空気感も、文字通り“死”に瀕していくことになる。
「次々トレンドが移り変わっていく話し言葉のスラングのように、使う絵文字によって、人びとは自らをある特定のタイプの人たちだと示すことになります。スラングと同じくその流行はやがて終わりますが、なおも使いつづける人もいる。私は普通の笑いの絵文字を使うのですが、もしかしたら私の世代もすでに、『古い』とマークされているかもしれません(笑)」
消えていく絵文字もあれば、残りつづける絵文字もある。そう考えるだけで、絵文字のイメージがすこし変わる。「いくつかの絵文字は数年後には、『人々が2022年に好んで使っていたもの』になるかもしれません。でもおそらく、ハートの絵文字は人気を保ちつづけるでしょう。数年後でもみんな、きっとまだ好きでいるはずです」
「絵文字は完全な言語ではない」
こうした絵文字のさまざまな側面は、いったい、絵文字がその内に秘めもつどのような性質に由来するものなのだろうか。
そもそもコーン氏自身、「絵文字は完全な言語ではない」という立場だ。その理由のひとつは、文法が制限されているため、というものだ。「絵や写真は、文法を持つことができます。たとえば私が研究しているマンガは、画像のシーケンスに文法がある。コマが名詞や動詞とは異なるタイプの品詞を演じることができるのです。話し言葉の文法に見られるようなグループ分けやあらゆる特性を利用した、非常に複雑な文法をもっています」と話す氏は、絵文字の対照的な特徴を指摘する。
「しかし、絵文字はひとつひとつの情報量が少ない。リンゴの木を表現したい場合を想像してみてください。リンゴの絵文字と木の絵文字を使わなければいけないわけですが、写真や絵ならばリンゴの木を写したり、描いたりしたものを見せればいい。つまり絵文字は、絵としてはあまり自然ではない方法で情報を伝えることを、強要しているのです」
通常の言語と、絵や写真の文法のあいだに置かれた、絵文字の捉え難さ──。規格が定められているにもかかわらず、その性質は、必ずしも明文化されていないということは、とても興味深い。そして、まだ発展の余地を多く残すからこそ、その成立には多くの人びとが神経を注いでいる。
現在、絵文字は〈The Unicode Consortium〉という団体での議論と決定を通じて、作成されている。2022年4月から7月にかけて、来る「Emoji 16.0」に対しての提案を募集していたように、その門戸は開け放たれている。
絵文字は通常の言語と異なる、とコーン氏が述べる理由のふたつめも、このコンソーシアムに関係している。それは、語彙の問題である。
「絵文字の語彙(ユーザーが使用できるボキャブラリー)は、コンソーシアムという特定のグループによって制限されているわけです。通常の言語ならば、ユーザーがその言語を使いながら語彙をつくり上げ、変化させていく。しかし、絵文字の語彙はあらかじめ制限されています。
先ほどの話のように、絵文字をタイピングするユーザーが、決められた語彙自体はまったく変えないままに、その絵文字を異なる方法で使うこともあるかもしれませんが、制限自体はあります。これは大きな特徴です」
ユニコード・コンソーシアムで議論に参加するのは主に英語話者であるのは事実であり、語彙の選定にはなおさら細心の注意が求められる。世界的に使用される、それでいて正体はまだわかりきっていない絵文字、その語彙を、あらかじめ選定する。考えてみれば、不思議な営みなのだ。
ポピュラー化した絵文字の歴史を仮に四半世紀だと踏んだとしても、まだ使われ方も、その研究も、端緒についたばかりである。絵文字の森は、とても深い。
だからこそ、これまでに見たことがない絵文字のあり方も、想像することができる。語彙が制限されているならば、自分たちで拡張していけばいいのだ。「絵文字は、語彙も文法も限られた表現方法──つまり、非常に限定された視覚的語彙なのです。しかも、まだ発展していません。複雑な文法のようなものも開発されていない。にもかかわらず重要で、有用で、豊かなものなのです。ただ、構造的なステータスが違うだけなんですね」
Photo by Norm Hall/Getty Images
新しい絵文字を提案する、つくってみる
実際にコーン氏は、自身のラボやユニコード・コンソーシアムでの議論を通じて、新しい絵文字を提案・提言している。
「コンソーシアムのメンバーから連絡があり、顔の絵文字のデザインを手伝ってほしい、といわれました。私たちはまず学生と一緒に、日本のマンガ、特に少年漫画や少女漫画に使われている、感情を伝える75のシンボルを詳しく調べました。そのうちいくつがすでに絵文字によって伝達されているか/いないのか、使われていないもののなかに絵文字に使えるものがあるかどうかを確認したかったのです」
コーン氏のツイッターより、The Unicode Consortiumに提案した、マンガからインスパイアされた新たな絵文字
さらには、コーン氏の研究に触発されて、ジェニファー・ダニエル氏が〈Emoji Kitchen〉という愉快なウェブサイトを立ち上げた。アクセスすると、既存の絵文字がバーッと並ぶ下に、「?+?=?」という式がある。好きな絵文字をふたつ選べば、新しい絵文字を生みだすことができる、というわけだ。
〈Emoji Kitchen〉で遊んでみた結果。任意のふたつの顔文字を選べば、多彩なニュアンスの絵文字が生まれる
Unicodeの規格があるため、すぐにどこでも使用可能というわけではないが、広がりゆく絵文字のポテンシャルを試すのには、うってつけの場となっている。自分の手で遊んでいると、ひとつの顔の絵文字が、必ずしもひとつの感情を表現するのではないということにも気づいていく。
「ジェニファーと私は、『溶ける顔』と『泣きそうな顔』をつくりました。文字通り『溶けそうな顔』と、『泣きそうな』顔というのは、目に小さな涙を浮かべながら微笑んでいる、かわいらしい顔です。最近ジェニファーが、このふたつを組み合わせたものを送ってきてくれました。とろけるような顔に、いまにも泣き出しそうな小さな涙が浮かんでいます(笑)。もちろん、絵文字キッチンがすべてのプラットフォームで利用可能になるかどうかはわかりません。でも、絵文字を合成して新しい絵文字のリストを作成するために、利用することができると思います」
ビジネスに医療。絵文字のフォーマル化
絵文字の境界線が、溶けていく。絵文字のあり方が、揺動する。その結果として、インフォーマルなものとして捉えられてきた絵文字が、フォーマルなものとして機能していくことは、ありえるだろう。
リモートワークの浸透は、絵文字のフォーマル化に影響を与えたかもしれない。Slackは「リモートワークに役立つ新しい絵文字パック」をリリースしたが、日常的に使っているという人も多いだろう。仕事相手に絵文字を使うときのハードルは、確実に下がってきている。
ほかにも、医療用の絵文字を提案するコミュニティ〈Medical Emoji〉が存在し、実際に心臓🫀と肺🫁を提案してUnicodeに採用されている。医師と患者支援者たちによるこのコミュニティは、人間が保有する臓器を絵文字にすることによって多くの用途をもたせ、また人びとの認識を変えていくことを念頭において活動している。
「どの動きも興味深いですし、最終的にどうなるかはお楽しみですね」。議論の只中にいるコーン氏は、ポジティブな調子でインタビューを締めくくった。
「医療用絵文字の議論には、私も参加したことがあります。肝臓や腎臓の絵文字も追加したいという話が出ていたのですが、通常の絵文字にそうした部位を追加しても、多くの人が使うとは限らない。ただし、特定の文脈では役に立つのです。そこで私が提案したのは、複数の絵文字セットを用意することでした。日常のコミュニケーション用の絵文字セット、ビジネス用の絵文字セット、医療用の絵文字セット──もちろん、すべての人がすべての絵文字を使うわけではありません。でも、たくさんの絵文字セットを使える状況は整っている。それも、ひとつの方法かもしれませんね」
それはまるで、ジェスチャーのように
全体的なレギュレーションと並行して、複数のセットが増殖していく──そんな未来がもし来るとしたら、それは絵文字がもともともっている性質ゆえなのだと、私たちはいまでは理解することができる。
言語学者のグレッチェン・マカロックは、『インターネットは言葉をどう変えたか:デジタル時代の〈言語〉地図』(千葉敏生訳、フィルムアート社、2021年)のなかで、絵文字は言語ではないからこそ広まった、と述べている。言語ではない絵文字は、何に近いのか? それはジェスチャーだ、と著者はいう。
絵文字とジェスチャーには、「普遍的」意味とのあいまいな関係という共通点もある。どちらも、ただの言葉が超えられない境界を超える。ジェスチャーや絵文字が使えるなら、言葉が通じない島にだって、わたしは喜んで行くだろう。しかし、身ぶりや漫画の絵でできることは限られているし、それと同時に、卑猥なジェスチャーのちがいや日本でしか見かけないモノのイラストなど、文化に特有のものはたくさんある。(中略)わたしたちの願いとは裏腹に、普遍的なコミュニケーションを実現する魔法の薬なんて存在しないのだ。
そう、絵文字は決して、「魔法の薬」ではない。だから面白い。ジェスチャーが場所によってさまざまな受け取られ方をしてしまうように、あるいはひとりの人間が同じことを表現しようとしても状況によって微妙に異なるジェスチャーをしてしまうように、絵文字もまた、普遍的な体系から、どこまでも逃れ去っていくものとして存在する。いつだって世界のどこかには、奇妙な絵文字が生まれているはずなのだ。
Photo by Altan Gocher/GocherImagery/Universal Images Group via Getty Images
次週11月8日は、葬儀の変容と死生観を研究されている、国立歴史民俗博物館の山田慎也教授のお話から、個人の葬儀と組織的な「国葬」や「社葬」との意外な共通点に迫ります。お楽しみに。