アーカイブの声を聴け:ニホンアシカとニホンカワウソの“絶滅”【ドリー・ヨルゲンセン特別寄稿】
1975年の国内での目撃例以来、半世紀にわたり生存が確認されていないニホンアシカ。今年2025年に正式な絶滅宣言がなされるだろうと、専門家間で予想されている。同様に1979年以来目撃例のないニホンカワウソも合わせ、絶滅種をめぐるナラティブを担うのは博物館だ。その”終わりから始まる”ナラティブとは。ノルウェーから度々来日し調査する環境史研究者による、ここでしか読めない刺激的な寄稿を邦訳し、独占公開。
オランダ・ライデンのナチュラリス生物多様性センターのアーカイブに保存されている、江戸期の「出島出入絵師」であった川原慶賀が描いたニホンアシカ
text by Dolly Jørgensen
translation by Kaede Shimada
ドリー・ヨルゲンセン|Dolly Jørgensen ノルウェー・スタヴァンゲル大学の歴史学教授。環境史および技術史の研究者であり、人文環境学者でもある。新たな単著であるGhosts Behind Glass: Encountering Extinction in Museumsを、シカゴ大学出版局より出版予定。『WORKSIGHT[ワークサイト]24号 鳥類学 Ornithology』の記事「旅行鳩よ、ふたたび 環境史家ドリー・ヨルゲンセンの問い」では、リョコウバトの絶滅の歴史、そしてその”復活”を期す運動の可能性と危うさをめぐる論考Grieving the Passenger Pigeon Into Existence Againの邦訳を掲載。
死者は語る
ドリー・ヨルゲンセン
絶滅宣言前夜
絶滅は終わりのしるしだ。遺伝子の系譜の終わり。在り方の終わり。
絶滅はわたしたちの周りで急速に進んでいて、我々は第六次大量絶滅の時代を生きていると言う科学者もいる。地球という惑星の歴史のなかで、多くの種が根絶されるのはこれで6度目ということだ。しかし、これまでとは異なり今回の絶滅は、人類が地球を急速につくりかえているせいで起きている。気候変動、生息地の喪失、汚染、故意の狩猟、他にも人類が引き起こすあれこれが、動物を絶滅に至らせる。
絶滅はあるひとつの種の個体がまったくいなくなったときに起こる。当然、科学者にとって、ある種が確実に絶滅したと言い切ることは難しい。一度にあらゆる場所を見張ることは不可能なのだから、わたしたちが目を向けていないどこかに、個体や小さな集団がいる可能性は常にある。絶滅したと思われた種が再発見されることもある。そうした種は、新約聖書の「ラザロの復活」の物語に由来して「ラザルス分類群」と呼ばれる。例えば、ロード・ハウ島原産のロードハウナナフシ(学名:Dryococelus australis)は1920年には絶滅したと考えられていたが、2001年に遠く離れた植生パッチで再発見された。ヒメフクロウインコ(学名:Pezoporus occidentalis)は1912年に絶滅したと考えられていたが、2000年代前半に生息個体が確認された。とはいえ、こうした甦りはとても珍しい。
絶滅の宣言は、誤報を避けるため、個体が最後に確認されてから何年も経って行われることが多い。例えば、ヨーロッパ人が入植を開始した当時、オーストラリア最大の肉食有袋類だったフクロオオカミ(学名:Thylacinus cynocephalus)の場合、最後の個体は捕獲された状態で1936年に死亡した。しかし、世界的な絶滅の決定権をもつ国際自然保護連合(IUCN)が、フクロオオカミの絶滅を公式に宣言したのは1982年だった。科学者にしてみれば、早合点ではないと確信してから宣言したい。「宣言はしていなくとも絶滅している種」の長いリストがあってもおかしくないだろう。
ニホンアシカ(学名:Zalophus japonicus)は、まさにこのリストに当てはまる。最後にニホンアシカが確認されたのは1950年代(訳注:生息報告はこの時期までで、以降は1975年のものも含めて目撃例に留まる)。では絶滅したのだろうか。ニホンアシカに関する未確認情報はいろいろと存在するものの、同地域で見られる他の海獣と混同しやすいため信頼できない。1994年にIUCNによって「絶滅」(EX)と記録された一方、日本の環境省が作成するレッドリストでは「絶滅危惧ⅠA類」(CR)に留まっている。日本は分類を更新しないことで、まだ生きているかもしれないという希望を保ってきた。でもそれも、今年「絶滅」(EX)に更新される見込みだ。科学はようやく真実を認めることになる──ニホンアシカは海から姿を消したのだと。
国立公文書館デジタルアーカイブより、江戸期の絵師・長谷川雪旦の魚介スケッチ集「魚類譜」に描かれたニホンアシカ
終わりから始まる博物館のナラティブ
絶滅はあるひとつの種の生物学的系統の終わりだが、その種との文化的な出会いは終わらない。いまでも日本国内のいくつかの博物館で、ニホンアシカと対面することができる。博物館は、絶滅種との文化的邂逅が叶う特別な空間だ。特に自然史に関する博物館には絶滅種の膨大なコレクションがある。こうした博物館には奇抜な動物──美しい色と独特な形をした豪華な羽根をもつフウチョウなど──や、希少な動物も収蔵されている。つまり、絶滅した動物の体も収集され、安全に保管されていることが多い。わたしは日本を含め世界中を旅して、絶滅種の展示を巡ってきた。その経験を記して『ガラスの向こうの亡霊』という新しい本をつくる予定だ。絶滅種と一対一で出会いたいなら、ぜひ博物館へ。
島根県立三瓶自然館サヒメルでは「リャンコ大王」に会える(訳注:後述の通り地元の漁師たちに獰猛なアシカとして知られ、捕獲時は750kgあったというこの個体は、捕獲された生息地「リアンクール岩礁」にちなんで「リャンコ大王」と呼ばれていた)。唯一現存するニホンアシカの成オスの剥製だ。ここでは、「大王」たるアシカの物語を知ることができる。リャンコ大王は自分のハーレムを守ろうとして船を襲うため、猟師から恐れられていた。とうとう、1934年7月に殺されて剥製にされると、大阪府の天王寺動物園で展示された。その後、巨大なリャンコ大王の標本はサヒメルに移り、現在の天王寺動物園には、別の若い個体の標本がある。そして若いアシカの隣には、いまもリャンコ大王の物語が記されている。
リャンコ大王は本当に巨大で、体長は2.88m、胴回りは3.1mもあり、同じガラスケースに収められた他の2体のサイズをはるかに凌ぐ。この2体のうち1体は天王寺動物園で現在展示されているものに似た若いオスで、もう1体は子ども。こうして見ると、アシカの核家族のよう──お父さんと、お母さんと、赤ちゃん──だけれど、そう見えるだけで、実際のアシカにはそうしたひとつの家族で集う習性はないし(訳注:先述の通り、アシカはハーレムを形成する)、小さな個体はメスではなく若いオスだ。でも人類は核家族が好きだから、アシカも同じように展示してある。ひょっとしたら、これによって動物への共感が生まれ、見学者も自分の家族を守ろうという前向きな気持ちになるのかもしれない。
リャンコ大王が人類の猛攻撃から“家族”を守ろうとしたのには理由があった。20世紀初頭、何万頭ものニホンアシカが計画的に狩られ、その脂肪からは油が、皮からは革製品が、肉と骨からは肥料がつくられた。リャンコ大王の展示に隣り合う壁には、アシカの皮でできた敷物が掛けてあり、いかに動物が製品化されていたかが窺える。若い個体のなかには、生きたまま捕らえられ、動物園やサーカスに連れていかれたものもいた。
そうした若い個体は、捕獲後まもなく死んでしまうことも多く、剥製となって他の博物館にも展示されている。そのひとつが、東京都にある領土・主権展示館だ。ここには1905年に島根県知事への贈り物として捕らえられた3頭の子どものうちの1頭がいる。他のアシカたちと引き離され、故郷から遠く離れた池で送った生涯は、さぞ辛く儚いものだっただろう。
ニホンアシカの最古の剥製標本は、松江市の島根大学総合博物館アシカルにある。1886年2月に捕らえられた若オスの標本で、2024年2月2日には島根県指定文化財(天然記念物)に指定された。このことは、日本最古の標本としての特別な価値、そして、島根県と絶滅したニホンアシカとの文化的な絆を表している。島根県沿岸および隠岐諸島では、歴史的にアシカ猟が行われていた。隠岐の島町の、久見漁港トンネル手前の橋の袂には2頭のニホンアシカ像があり、マンホールの蓋にもアシカが描かれている。奪い、奪われる関係──この場合、狩猟による絶滅──でさえ、中止から長い年月を経ると文化的な意味をもつのだ。
写真上:島根県立三瓶自然館サヒメルにて、ニホンアシカの展示(2024年6月) 中:領土・主権展示館にて、ニホンアシカの子ども(2024年6月) 下:島根大学総合博物館アシカルにて、ニホンアシカの若オス(2024年6月) photographs by Dolly Jørgensen
動かないニホンカワウソたち
過度な狩猟によって絶滅した在来種はニホンアシカだけではない。ニホンカワウソ(学名:Lutra lutra nippon)も同じような運命を辿った。19世紀後半から20世紀前半にかけて、ニホンカワウソは毛皮のために狩られた。かつては全国各地で見られたが、最後の百年は主に四国地方に生息していた。ニホンカワウソの個体数は減少し、生息地の破壊や河川汚染の影響を受けやすくなった。最後に個体が確認されたのは1979年。それから30年以上が経過した2012年8月28日、環境省はニホンカワウソを「絶滅」に分類した。
ニホンアシカと同様ナチュラリス生物多様性センターのアーカイブに保存されている、川原慶賀が描いたニホンカワウソ
ニホンカワウソは1965年に国の特別天然記念物に指定されている。天然記念物とは「我が国にとって学術上価値の高い」動植物および地質鉱物を指し、「その保存が適切に行われる」必要があると、文化財保護法で定められている。絶滅種であっても、愛媛県にはニホンカワウソのゆるキャラ「幻ちゃん」がいる。愛媛県愛南町の「なーしくん」、高知県須崎市の「しんじょう君」もニホンカワウソだ。
そして新居浜市の愛媛県総合科学博物館は、ニホンカワウソと対面するのにぴったりな場所といえる。ここには世界最大のニホンカワウソの展示があるのだ。
ジオラマ模型を見れば、岩の多い海岸に4頭のカワウソがいる。ジオラマは、自然景観を都市生活者の眼前に広げ、伝える手法として、1880年代から1930年代にかけて、まずアメリカおよびスウェーデンで発展した。愛媛県総合科学博物館のジオラマでは、1頭のカワウソが潮だまりに飛び込もうとしている。別の1頭は後ろ足で立ち上がっている。剥製ではなくただの模型だからといって、展示の重要性が損なわれるわけではない。絶滅した動物の生息の実態を見せることは珍しいが、こうした展示のおかげで、動物がどのように暮らしていたかがよくわかる。自然における習性や相互作用といった、剥製では難しいことも、模型なら表現できる。
ただし、愛媛県総合科学博物館では「本物」のニホンカワウソの体も見られる。剥製が6体、骨格標本が1体、毛皮が1枚。しかも展示室にあるものは、当館が所有する標本のほんの一部に過ぎず、見学者が立ち入れないバックヤードには、信じられないくらい膨大なカワウソのコレクションがある。展示室でも、1954年から1971年の間に収集された35頭のカワウソのリストを読むことができる。リストにはそれぞれの死因が書いてある。死んだ状態で発見されたか、事故か、原因不明か。その隣には、各標本の収集場所をプロットした地図。愛媛県沿岸にずらりと点が並ぶ。毛皮を狙った狩猟が絶滅の主な原因のひとつなのだから、毛皮が展示されていることにも納得がいく。
東京都にある国立科学博物館にもニホンカワウソの骨格標本があるが、カワウソの歴史については説明がない。元はといえば「絶滅危惧種」の例として、ニホンオオカミ(学名:Canis lupus hodophilax)と一緒のガラスケースに入っていた。ニホンオオカミおよびエゾオオカミ(学名:Canis lupus hattai)はいずれもオオカミの亜種で(訳注:現在も分類学的な位置づけをめぐって議論が続いている)、家畜や農場の脅威になるとして、人為的に撲滅された。ニホンオオカミは1905年、奈良県で確認されたのが最後で、現在は日本のレッドリストに「絶滅」と登録されている。ニホンカワウソとニホンオオカミはガラスケースの向こうで、人間が行いを改めなければ、いまはまだ存在している絶滅危惧種がどうなるかということを警告している。
このように、絶滅は単なる種の終わりではなく、むしろ動物の歴史の続きなのだ。絶滅種はぱっと消えるわけではない──彼らの体や物語は博物館で生き続け、見る者に行動を促す。しかし、絶滅すれば彼らの命は彼らのものではなくなる。彼らの歴史を語ることも、彼らの生──それから死──に意味をもたせることも、人類にまるっきり委ねられる。絶滅種たちは、人類が動物の命を軽んじた先に起こりうることに対し、博物館から警鐘を鳴らす役割を担う。ガラスケース越しに、かつてあった命が垣間見える──在りし日は泳いだり、走ったり、のそのそ歩いたりしていた脚、食事を味わっていた口、生きて世界を眺めていた目。全力で仲間を守ろうとする、リャンコ大王の咆哮まで聞こえてきそうだ。哀しいことに、当時の人たちには聞こえていなかった。いまのわたしたちには聞こえるだろうか。
写真上:愛媛県総合科学博物館にて、ニホンカワウソの剥製(2023年4月) 中:愛媛県総合科学博物館にて、ニホンカワウソのジオラマ(2023年4月) 下:国立科学博物館にて、ニホンカワウソの標本(2023年4月) photographs by Dolly Jørgensen
次週3月11日は、ヨーロッパにおける「金継ぎ」文化の現状から、修復をめぐる技術の来し方行く末を考えます。割れた器を単に修理するのではなく、むしろその傷を引き受けるようにして美的な価値を付加していく金継ぎ。歴史的な傷からの回復という意味合いで、美術界ではポストコロニアルな解釈をなされることもあるという技術ですが、実際に現地ではどう受け止められているのか。日本からドイツに渡って活動するアーティストへのインタビューを通じて考察します、お楽しみに。
【新刊案内】
photograph by Hironori Kim
書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]26号 こどもたち Close Encounters with Kids』
不思議なことで笑い、めちゃくちゃに泣き、気分次第で自由に動き回る……。こどもとは、実はわたしたちの最も身近にいる「他者」なのかもしれない。今号では、他者としてのこどもに対して、さまざまな学問や芸術、エンターテインメントがどのように向き合ってきたのかをテーマに取材を実施。こどもを取り巻く社会を見つめる。
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]26号 こどもたち Close Encounters with Kids』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0933-0
アートディレクション:藤田裕美(FUJITA LLC)
発行日:2025年2月14日(金)
発行:コクヨ株式会社
発売:株式会社学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税
【研究員募集のお知らせ】
WORKSIGHTの発行母体であり、未来社会のオルタナティブを研究する機関であるコクヨ株式会社ヨコク研究所と、その傘下にある新しい働き方・働く場を探求するワークスタイル研究所で、リサーチャーを募集します。社会や働き方の未来を共に描き、変革を促す仕事です。奮ってご応募ください。
業務内容:
・インタビュー/観察調査/統計分析を通じた社会変化の研究
・リサーチ成果の執筆・編集・発信
・プロトタイピングプロジェクトの企画・実施
・専門家やクリエイターとのネットワーク構築募集人数:若干名
応募方法:下記よりご応募ください