アニメ語、話せる?:ファンダムはなぜ「言語」を学ぶのか【下篇】
言語を学ぶことは、それによって形づくられる「世界」を学ぶこと。ことばが変われば「世界」も変わります。そしてそれは「新しいことばをつくる」ことが「新しい世界をつくる」ことでもあることを意味しています。架空言語を通じて、すでに現実の「世界」が変わりつつあることを、「ファン言語」コミュニティが教えてくれます。
『スター・トレック』に登場する架空言語クリンゴン語の筆記を練習するファン(Keitma / Alamy Stock Photo)
映画や小説のために創作された架空言語と、その言語を学ぶファンの人びとに迫る本企画。上篇では、言語人類学者のシュレイヤー氏と、映画『アバター』に登場する「ナヴィ語」を学ぶコミュニティ〈Learn Na’vi〉管理人のマーク・ミラー氏とともに、ナヴィ語のファンコミュニティのオープンで協働的な活動を覗いた。下篇では彼らが学び続ける動機を探り、常にかたちを変えながら複雑に絡み合う、言語と世界の関係について考えます。
interviewed by Yasuhiro Tanaka / Kaho Torishima
text by Yasuhiro Tanaka / Kaho Torishima
クリスティン・シュレイヤー氏|Christine Schreyer
ブリティッシュ・コロンビア大学准教授。言語人類学を専門とし、ファン言語や絶滅危惧言語など言語コミュニティの調査、カナダやパプアニューギニアの言語の再生などに携わる。プロの言語クリエイターでもあり、『マン・オブ・スティール』のクリプトン語や『パワーレンジャー』のエルター語など数多くのファン言語を創作している。
マーク・ミラー氏|Mark Miller
ナヴィ語コミュニティ〈Learn Na’vi〉の管理人。立ち上げから関わり、2010年以降は管理人を務めている。普段はネットワーク設計者として大企業向けのシステム設計や構築を行っている。
言語=世界観=アイデンティティ
人はどのような理由で言語を学ぶのだろうか。英語や日本語のように社会において自然に発生し、日常的なコミュニケーションで使われている「自然言語」と作品のために創作された「ファン言語」では、学ばれる理由に大きな違いがあるとシュレイヤー氏は指摘する。
「自民族の自然言語を学ぶことには、それが自分のアイデンティティの一部であり、言語との結びつきを感じるからだという理由があります。つまり、言語が自分自身であるということです。私の場合は、ドイツ人とアイルランド人というバックグラウンドがあります。だから、自分のアイデンティティの一部として、それらの言語を学びます」
一方ファン言語は、実在する特定の場所に属しておらず、誰もが自由に選択できる言語だ。シュレイヤー氏は、このことこそがファン言語が世界的に人気のある理由だと言う。しかしそれは、ある意味で学ぶ必然性もないということになる訳だが、学ぶ意欲を掻き立てるものは何だろうか。言語が好きだから学ぶ人、コミュニティ自体に魅力を感じた人、動機はさまざまだが、なかでも多く見られるのは「世界観に惹かれて学ぶ人」だという。
言語が変われば、世界が変わる
ナヴィ語を学ぶコミュニティ〈Learn Na’vi〉の管理人、ミラー氏は、ナヴィ語を学ぶ人の動機について次のように話す。
「『アバター』のビジュアルは素晴らしく、観た人はまるでパンドラに行ったかのような気分になりました。そして多くの人が、パンドラの文化についてもっと知りたい、見習いたいという願望をもったのです。なぜならこの映画には、少し説教臭いところもありますが、環境保護や人への接し方に関するメッセージが控えめに込められているからです。世界中の多くの人がこのメッセージに共感してナヴィ語を学び始めています」
上:ナヴィ語の数字や単語を解説した動画 下:映画『アバター』に登場するナヴィ語に、ナヴィ語のキャプションがつけられた動画
映画『アバター』は、地球からの植民地主義者がナヴィ族の住む衛星「パンドラ」の資源を奪おうと美しい木を切り倒してしまうストーリーで、環境問題がひとつのテーマとなっているのだ。さらにシュレイヤー氏は「彼らは、ナヴィ語のことばを使えば環境保護への理解を広めることができる、という考えをもっています」と話す。たとえばナヴィ語には『母なる大地(Gaia)』という意味を表す“Eywa”ということばがあるが、シュレイヤー氏の調査によると、ナヴィ語のファンコミュニティの多くの人がこのことばへの明確な見解と強い思い入れをもっているそうだ。
ファンはナヴィ族の環境に対する倫理観に共感し、彼らの言語を通して彼らの世界観をインストールしようとしている。しかし、「言語」と「世界観」にどれほどの結びつきがあるのだろう。その関係性にまつわる研究は言語人類学において盛んであり、「サピア=ウォーフの仮説」、あるいは「言語的相対論」と呼ばれる考え方がある。これは、人の認識や思考は言語から影響を受けるという仮説である。シュレイヤー氏は、この仮説には批判もあると前置きしたうえで、言語によって世界の見方が変わる可能性を話す。
「言語は世界そのものと結びついているのだと思います。たとえば、ある言語では色彩を表す用語が白と黒のふたつしかないために、白黒で色が認識されていることを示す研究があります。そして、3つの色彩用語がある場合は、黒、白、赤。4つの色彩用語があれば、黒、白、赤、そして黄、青、緑となり、その数が増えれば認識する色数も同じだけ広がっていきます。つまり、言語において色を表す言葉には限りがあるので、使う言語が色の捉え方に影響を与えると考えられるのです」
視覚的に同じ色を見ていても、それを青と表現する言語もあれば、緑と表現する言語もあるように、言語が色の捉え方、つまり世界の見方を変えているというわけだ。私たちが視覚的には緑に見える信号を「青」と呼んだり、緑の草木が生い茂っている様子を「青々」と表現したりするのは日本語ならではの特徴なのだろう。さらに、言語による世界の見え方への影響は、色彩だけではなくジェンダーにも及ぶという。
「フランス語やスペイン語のように、男性名詞と女性名詞をもつ言語について研究した心理学者がいます。あるものが男性名詞の言葉で呼ばれると、人びとはそれを女性的なことと結びつけて見るのが難しくなるという研究結果があるのです」
さらに、ファン言語を学ぶことが他者への考え方や姿勢に影響を与えているという調査結果もある。
「『ゲーム・オブ・スローンズ』のファンコミュニティにおいて『文化的寛容性尺度』と呼ばれる指標を用いて行った調査があります。『誰かが奇妙なことをしたら、その人に腹を立てますか?』といった質問で、他言語や他文化へのオープンさを測るものです。400人のファンの内20人は映画に登場するドスラク語を学んでいる人たちだったのですが、彼らは他のファンに比べて文化的寛容度が高いという結果が出たのです」
また〈Learn Na’vi〉には、実際に環境保護活動を行うメンバーがいるという。管理人のミラー氏は「アマゾンなど熱帯雨林地域を支援する環境保護団体にメンバーが個人で参加したり寄付をしたりしています。これは『アバター』の監督であるジェームズ・キャメロン氏自身が南米の熱帯雨林を訪れ、問題に直面している人びとに会ったことがきっかけでした。その結果、多くの人が環境問題を知り、興味をもち、支援するようになったと思います」と話す。言語から取り込まれた世界観は、現実世界でも実行され、さらにコミュニティの外へメッセージとして発信されているのだ。
映画『アバター』の舞台となった、ナヴィ族が暮らす惑星「パンドラ」の景観(上:Cinematic Collection / Alamy Stock Photo)と、そのモデルとなった中国・湖南省の張家界国家森林公園の美しい自然(Jeroen Harpe / Alamy Stock Photo)
架空の言語をつくる
ファンが惹かれるファン言語の世界観は、映画のメッセージや語彙にだけではなく、言語音にも宿っているようだ。ミラー氏はナヴィ語の印象を「実際に学習してみると、この言語の文法はかなり変わっています。これはジェームズ・キャメロン監督が言語学者であるフロマー博士に、できるだけエキゾチックで興味深い響きをもつ言語にすることを要望したからです」と語る。
『マン・オブ・スティール』のクリプトン語をはじめ、数々のファン言語の創作にも携わったシュレイヤー氏にその創作の過程を尋ねた。
「言語を構築する際、監督やプロデューサーのことばや映画の文化的背景などをベースにします。さらにそれらの材料に対してリサーチを行い、内容を深めることもあります。たとえば『パワーレンジャー』に登場する『アルファ語』では、2万年前のヨーロッパを舞台に、太古の人類が話していたことを表現しなければなりませんでした。そこで、言語は時間とともにどのように進化してきたのかということについて学術的な調査を行ったのです」
そして、こうして組み上げられた世界観を、言語の構造に反映させていくという。たとえば音節の長さだ。「アルファ語は『人類最古の言語』という設定なので、非常にシンプルな”MULATA”とか”ELTY”といった2音節の短い単語にしました。しかし複雑な社会で話される言語という設定であれば、言葉を長く複雑に設計するでしょう」とシュレイヤー氏は話す。
語順もひとつの鍵になるようだ。
「日本語は「私は彼を見た」と、主語、目的語、動詞の順番になりますが、英語では”I saw him”と、主語、動詞、目的語の順です。そして最も珍しい構造は、目的語が最初に置かれる「目的語、動詞、主語」という順番で、世界の言語の9%にしかみられません。マーク・オークランド氏が『スター・トレック』のクリンゴン語をつくった際、監督にできるだけ異質なものにするように言われていたため、この最も変わった文型を選んだのです」
ファン言語の世界観に多くの人が惹かれるのは、映画のメッセージ性のためだけではなく、言語の創作過程において、その言語を話す民族の設定が言語構造に緻密に反映されているためでもあるのだ。
上:「Game of Thrones」に登場するドスラク語を、言語制作者が解説 下:ドスラク人の多種多様な表象から、その「世界観」を読みとく解説動画
地球温暖化やジェンダーが言語を変えている
しかし世界観を言語に反映できるのは創作言語だけだろうか。そもそも私たちは普段同じ言語を使っていても、使う人や世代、性別などによって異なる話し方をしている。
「私たちは母語が何であれ、みんな自分自身の『イディオレクト』(個人言語)と呼ばれる独特の話し方をもっています。家族にもそれぞれ独特の話し方があり、その家族だけが知っている特有のことばもあるかもしれません。そして、地域社会、さらに州や国へと規模が大きくなっても、それぞれのコミュニティや地域ごとに特有の話し方やことばの特徴が存在するのです」
自分らしさや家族らしさ、世代や地域の文化を反映する自然言語。さらに最近では、社会や考え方の変化を受けて人びとが言語にも変化を求め、実際にその世界観をアップデートしていく動きがある。
「スペイン語やフランス語は男性名詞と女性名詞という伝統的な性別をもつ言語ですが、最近ではジェンダーに中立的な話し方を見つけようとしています。スウェーデン語やドイツ語、他の言語でも、少なくとも西洋の世界ではこのような動きがあり、拡大しつつあるのです」
ジェンダーの解釈だけではなく、気候変動問題という世界共通の課題に関してもまた、言語が議論に変化をもたらしている。
「地球温暖化を『気候変動』や『気候危機』と呼ぶのか、といったことが話題になります。英語では『気候危機』と呼ぶと、『実際に何かしよう』という呼びかけている意味にもなり、これは世界中で起こっていることだと思います」
現代に限らず、言語はこれまでも時代とともに変化してきた。
「狩猟社会であれば、狩猟に使う道具を表す言葉が豊富に存在すると考えられます。かつてカナダの多くの地域は農耕社会でした。そのため、農民は穀物や牛の種類を表すことばをたくさんもっていましたが、農業を仕事にする人が減少するとボキャブラリーも同時に失われていったのです」
つまり、その時代における文化や重要視されているものがことばにも反映されるということだ。あるいは評価されることによって多くの語彙をもち、そのために多くの人がそのことばを知ることになり、やがて重要なものと認識されるようになるのかもしれない。
自分らしさや、その時代らしさを映し出しながら変化する自然言語。ナヴィ語で新しい語彙が提案の後に拡張していくように、私たちは日常でも言語を拡張し再構築していっているのかもしれない。
日本語は「アニメ語」?
現実世界で私たちが使用する「自然言語」と、映画のなかの民族が使用している「創作言語」。そのふたつはどちらも言語でありながら、現実と物語という全く異なる世界でそれぞれが存在し話されているように思える。しかしそれが不思議にも交錯している言語がある。──日本語だ。
シュレイヤー氏が面白いエピソードを話してくれた。
「ある日、カナダの公園で10代の女の子たちがアニメを観ていました。そしてひとりの子が他の子に『アニメ語、話せる?』(Do you speak Anime?)と聞きました。彼女たちはアニメで話されている言語を日本語だと知らずに、『アニメ語』という言語だと思っていたのです」
日本語は「アニメ語」として認識されつつある。架空の言語と現実の言語の境界が、融解してしまっているかもしれない。
なんと日本語を日本人が話す言語ではなく、アニメのキャラクターが話す言語として認知している人びとがいるのだ。カナダにはアニメ好きなティーンエイジャーがたくさんいて、アニメを通して日本語を学ぶ小さなファンコミュニティができているのだという。日本発のアニメに共感したファンがアニメ語という日本語を学ぶという現象を鑑みると、彼らにとっては日本語イコール「アニメ語」、つまり日本語が「ファン言語」なのだ。これは、世界中に日本のファンを増やすという意味でも興味深い。
「アニメは日本への道を切り開く入口になっていると思います。私の生徒にもアニメをきっかけに交換留学や就職などで日本へ赴く学生がいます。これは他のファン言語とは一線を画す、『アニメ語』の面白いところですね。ナヴィ語は学びたくてもナヴィ族の惑星であるパンドラには行けませんから(笑)」
彼らが日本に来たとき、私たち日本人は「アニメ語」を話す民族と認識されるかもしれないし、日本人のアイデンティティは彼らが読んだアニメの世界観(日本人は『ONE PIECE』のように仲間を死に物狂いで守る…!)で構成されるかもしれない。そう考えると、日本は、現実世界とアニメファンが描く仮想世界とがパラレルワールドとして存在する不思議の国でもあるのだ。
【世界の人工言語】
ファン言語は人為的につくられた言語として、人工言語というカテゴリーに分類される。世界中でファンや使用者が多く存在する人工言語をいくつか紹介しよう。
騎馬民族ドスラク族を率いるデナーリス。『ゲーム・オブ・スローンズ』より(Pictorial Press Ltd / Alamy Stock Photo)
◉ ナヴィ語
映画『アバター』において、パンドラという惑星に住むナヴィ族が用いる言語。南カリフォルニア大学の言語学者ポール・フロマー博士が創作した 。ジェームズ・キャメロン監督の意向で、人類が学習可能で出演俳優が発音しやすいうえ、いずれの現実の言語とも似ていないようにデザインされている。
◉ クリンゴン語
SF映画『スタートレック』に登場するクリンゴン人の言語。アメリカの言語学者マーク・オーランドが創作した。できるだけ異質に聞こえるように設計され、現実世界では9%しかない珍しい文法構造(目的語、動詞、主語の並び)が採用されている。Netflixで配信された『スタートレック:ディスカバリー』(現在は配信停止中)では、字幕のひとつに採用された。Googleでは検索や翻訳の際にクリンゴン語を設定できる。
◉ ドスラク語
ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』に登場するドスラク族の言語。原作である小説『氷と炎の歌』で使用されたことばをもとに、俳優の発音のしやすさを考慮して言語学者デイヴィッド・J・ピーターソンが創作した。ドスラク族には感謝という概念がないため、「ありがとう」にあたることばが存在しない。
◉ トキポナ
2001年、カナダの言語学者ソニャ・ラングによって創作された言語。14の音素と120の単語という最小の語数で最大の意味を表現することをめざす哲学的、実験的な言語である。たとえば、色を表す単語は白、黒、赤、黄、青のみで、他の色はこれらの単語を重ねることで表現する。(紫[loje laso]=赤[loje]+青[laso])
◉ エスペラント語
1887年、ポーランドの眼科医ルドヴィコ・ザメンホフによって発明された言語。民族や文化の違いを超えた国際平和に寄与すべく、あらゆる人が簡単に学べる世界共通語を目指してつくられた。現在、世界中でおよそ100万人に話され、ネイティブスピーカーもいるほど、圧倒的に広く使われている人工言語である。
次週9月27日は、デザインシンカー池田純一さんが、シリコンバレー発の問題の書『The Network State』(「ネットワーク国家」)を縦横無尽に読み解きます。お楽しみに!