都市と農村を重ね書きせよ:イタリア「テリトーリオ」をめぐる実践と叡智
イタリアの事例を紹介する一冊の書物が、日本の読者たちを刺激する。『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』で紹介されるのは、イタリアの「テリトーリオ」という聞き慣れない概念。しかしその「テリトーリオ」は、都市/農村という一般的な二項対立を包括的に捉えなおし、地域をめぐるわたしたちの姿勢を揺さぶるものだという。イタリア建築史・都市史を知悉する著者に、インタビューを通じて解説してもらった。
2024年5月15日、トスカーナの丘陵地帯に広がるブドウ畑 photograph by Giulio Origlia/Getty Images
2022年3月に刊行された『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』(木村純子、陣内秀信・編著、白桃書房〔法政大学イノベーション・マネジメント研究センター叢書〕)で論じられている「テリトーリオ」という概念は、一口に論じるには、あまりに豊かな概念だ。書籍の紹介文にはこうある。
イタリアでは70年代に入ってから、経済性偏重の都市政策の結果、都市の過密と農村の過疎が顕著となった。それをきっかけに、歴史、文化、環境、住民意識等の非経済的な価値を重視する地域政策への転換へと舵を切ることになる。その鍵となったのが、テリトーリオ概念である。これは、地域の文化、歴史、環境、その土地の農産物の価値を高め、都市と農村の新しい結びつきを生む社会システム概念である。そしてそこには、地域住民が主体的に活動するロジックが含まれている。
日本ではまだそれほど浸透していないことばである。しかし共著者のひとりである陣内秀信氏によれば、都市と農村の新しい関係であり、自治の戦略であり、自然や歴史との調和を目指す生き方・働き方であり、さらにはスローフード運動などの食文化までも包括する、非常に大きな、そして魅力的な概念なのだという。
そうした「テリトーリオ」の広がりから、わたしたちはいったい何をすくい取り、実践へつなげることができるだろうか。日本における「テリトーリオ」紹介の第一人者であり、イタリア建築・都市史を専門とする顕学・陣内氏に話を聞いた。
photographs courtesy of Hidenobu Jinnai
interview by Ryuji Ogura and WORKSIGHT
text by Ryuji Ogura
陣内秀信|Hidenobu Jinnai 法政大学江戸東京研究センター特任教授。専門はイタリア建築史・都市史。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学に留学し、ユネスコのローマ・センターで研修。パレルモ大学、トレント大学などの契約教授、国交省都市景観大賞審査委員長なども務めた。地中海学会賞、イタリア共和国功労勲章ほか受賞。ローマ大学名誉学士、アマルフィ名誉市民。サントリー学芸賞(社会・風俗部門)に輝いた『東京の空間人類学』など著書多数。
1970年代のパラダイムシフト
──今回は、陣内先生が研究されているイタリアの建築・都市史のなかでも、近年特に注目を集めている「テリトーリオ」についてお聞かせいただければと思います。まずは、このことばの定義や概念に関して、どのように理解すればよいでしょうか。
「テリトーリオ」を定義するのはけっこう難しいんです。というのも、イタリアではずっと前から存在していたことばで、子どもたちも含め誰でも、堅苦しい定義を考えずに普通に使っています。研究者でも専門分野が違えば、込める思いも少しずつ異なってくるし、ゆえに、例えばワイナリーのオーナーと都市計画の役人では、それぞれに違う感覚をもっているでしょう。ですので、明確なひとつの定義はない、というふうにまずは考えたほうがいいかと思います。
ただ、それでは話が進みませんので、あえて大まかに説明しますと、イタリア語で都市のことを「チッタ」と言います。この都市を中心に、周辺の農村、田園、山林、海沿いの地域であれば海浜まで含めた、すべての空間的な広がりをイメージしてください。そこには固有の地形や自然条件があり、そのなかで都市と農村の交流が盛んに行われ、経済的、社会的、そして文化的にも共通のアイデンティティが育まれてきた。そういうまとまりのある全体の広がりを指して「テリトーリオ」と呼びます。これが「テリトーリオ」の最も小さな基本単位と考えていいでしょう。同時にまた、こうした小さな単位が、流域や海岸線などの地形や歴史的な街道に沿って、あるいは共通する農業生産などを通じて互いにつながり、より大きなテリトーリオをかたちづくることにもなります。
より大きな「テリトーリオ」の形成事例 上:カンパーニア州、全体が世界遺産に登録されているアマルフィ海岸 下:トスカーナ州のオルチャ渓谷。5つの自治体の連携のもと、世界遺産に登録された
──その「テリトーリオ」という概念を日本にいながらにして考えることには、どんな意義がありそうでしょうか。
いま世界中で起きていることとして、効率化やグローバリゼーションのなどの影響で流通が活発になった結果、食料にしても建築資材にしても、どこからでも入ってくるようになり、それまで有機的に成り立っていた後背地と都市の関係が、あまり意味をもたなくなってきましたよね。イタリアでも戦後に工業化が進み、農地がつぶされ、都市の周辺には一面の工場が広がる、という状況がありました。日本と同じように、大都市での過密と中山間部の町や村での過疎という対比が生まれてしまったのです。
イタリアと日本は、近代まで非常によく似た歴史を辿っています。まず1860年頃、イタリアでは「リソルジメント」という国家統一運動があり、これは明治維新と同じ時期です。日本では明治時代の後半から急速に近代化、産業化、都市化が進み、農村から都市へ人びとが移動するにつれて、農業が軽視されるようになりましたが、イタリアでも同じことが起こりました。もともとイタリアは分権的な国家で、イタリア統一前は、サヴォイア公国、ヴェネツィア共和国、ナポリ王国をはじめ、いくつもの異なる国に分かれていました。日本も分権ではないけれど、かつては地方ごとの個性がかなりありましたよね。
──かつては地方の独自性が高かった、と。
そこから100年後、1960年にローマオリンピックがあり、1964年が東京オリンピックです。ここまでがそっくり。イタリアではドルチェヴィータ(甘い生活)と言われる豊かな時期を経験しますが、その1960年代も終盤になると、近代化や工業化が行き詰まり、破綻します。労働者たちが次々と権利を主張、社会風土的にも政治風土的にも革新系の声が大きくなります。1968年にフランスのパリで起きた五月革命に影響され、イタリアでも「熱い秋」と呼ばれた労働運動が起きる。労働者や学生、知識人までみんなが立ち上がり、社会を変えようとしたわけです。これが次の段階へのステップになりました。
こうしたイタリアの、大企業中心による高度成長の結果、自然環境が破壊され、大都市への集中と農村の疲弊、過疎化が進行しました。歴史都市は近代化の開発でその魅力を失いつつあった。60年代末から、その反省に立ち、文化や歴史も大切にするべきだ、アイデンティティも必要だ、といった声が上がります。そこから、国土全体のバランスの良い発展を目指す方向への転換が始まります。街並み保存や歴史的な都市を再評価する考えが生まれ、産業の担い手も大企業から家族経営の小さい母体に主役が移り始めます。
──小さな主体へと、力点が移っていく、と。
戦後のイタリア憲法で謳われていた地方分権が実際に進み始め、地方の小さな都市の底力が発揮され、魅力が増してくる。その転換点が70年代で、80年代に花開きました。そういった運動や考え方を推し進めることばとして、テリトーリオが盛んに使われるようになったのです。
──なるほど。例えばその頃の日本は、どういう状況だったと整理できるのでしょうか。
日本では1970年の大阪万博を皮切りに、このまま高度成長は続けられないということで、大きな反省の時期に入ります。さらに、1973年にはオイルショックがあり、世界中が意識改革を迫られます。70年代の日本でも、玉野井芳郎さんという経済学者が中心となり、アメリカの経済学者エルンスト・シューマッハーが唱えた「スモール イズ ビューティフル」という考え方を日本語で「地域主義」と訳し、土地の歴史や自然、街並みやアイデンティティといったことを踏まえて地域を見直す考えが広まりました。「景観」ということばはここから生まれたのです。この低成長期、東京でも渋谷でパルコが文化を基軸とする街づくりを意欲的に展開し、地形を生かし回遊性のある日本的な魅力ある都市空間も誕生しました。西洋化=近代化を脱して、江戸東京ブームも到来しました。
しかし、こうした発想の転換を伴う大きな構造変化が日本社会に起こる前に、80年代後半にバブル経済が来てしまった。このバブルのせいで、日本は再び大企業中心、東京一極集中の高度成長型へ突入し、今日に至るまで続いていくわけです。
上:ヴェネト州トレヴィーゾのシニョーリ広場。1980年代にファッション産業で興隆した小都市 下:1970年代以降、パルコのまちづくり戦略のもと形成された渋谷公園通り
あらゆるものは、テリトーリオへ
──テリトーリオが見直された1980年代のイタリアでは、具体的にどのような動きがあったのでしょうか。
1980年代に入ると、ポストモダン的な価値観が世界中に広がり、イタリア人はファッションとデザインの分野で一気に力を発揮します。ただし、ここでも基本的な考え方は地方分散であり、高度成長ではなく安定成長の時期です。家族経営のファッションブランドや、リノベーションした中小規模の街のようなかたちで、魅力とクオリティを上げていく。そして、都市の発展だけではなく、まわりに広がる田園も守りながら、農業や食を大切にするようになります。1985年に景観法とアグリトゥリズモ法が成立し、農村の再生に大きな弾みがつきました。日本で景観法というと、都市の街並み整備や緑化などを思い浮かべがちですが、イタリアでは田園を中心に考えられていて、農業を大切にすることとリンクします。1986年にはイタリアからスローフード運動が生まれ、地産地消という考え方が強まりました。
──スローフード運動や地産地消の淵源は、そうしたところにあるのですね。
1990年頃からはEUの政策として、その商品がどういう土地で、どんな気候風土のもと、誰がどんな伝統に則ってつくったのか、そういう格付けによって差別化する地理的表示(G I)保護制度という考え方が生まれ、広がります。それをブランド化することで、個性を求めるニーズにも合致し、格付けで安心感も与えるので価格を高くできる。自然の気候や地形、そして人間の伝統的な技術や知恵の集積、そういったあらゆるものがテリトーリオのポテンシャルになっていくわけです。日本でも広がりつつあるこの地理的表示(G I)保護制度はテリトーリオの考え方とまさにつながっています。
ヨーロッパでは、田園景観を評価する目的で、文化的景観ということばが生み出されました。もともと文化財の対象になるのは、単体の教会や宮殿、お城といった歴史的に重要な建造物が主なもので、それが歴史都市全体に広がってきましたが、ユネスコは戦略的に農業景観にまで保護の範疇を広げています。その戦略を引っ張っているのがフランスとイタリアで、まさにテリトーリオの営みが見えるかたちで表れた田園風景にこそ、文化的な価値があるのだというわけです。いまでは、世界文化遺産に選ばれた田園風景がたくさんあります。
──テリトーリオの価値づけが行われた、と。
80年代から90年代にかけての10年間で、こういったものすごい価値変換が起きたことで、都市政策、農業政策、文化財の保存と再生、すべての考え方が変わりました。それを受けて、さまざまな立場の人たちが時代の流れを読み、古くからあったテリトーリオということばに新しい意味を加えたり、新しいコンテクストで積極的に使ったりするようになったのです。
日本でも各地方の役所や中央官庁が少しずつ学びながら、地方創生といったことばとともに開発の考え方をシフトする動きはありますが、どうも戦略が見えにくい。何より、大企業を中心とする経済の力があまりに強すぎて、国全体としては、まだまだヨーロッパほどの地方や地域への流れはつくれていないのが現状だと思います。
上:オルチャ渓谷のアグリトゥリズモ 下:同地の田園風景
目的意識によって伸縮自在?
──日本で地域を盛り上げる施策となると、どうしても行政区域みたいなものをベースに考えてしまう傾向があると思うのですが、イタリアでそういった区域を飛び越えて人びとが連帯できるのは、何か背景や理由があるのでしょうか。
イタリアはもともと近くの街同士・自治体同士のライバル意識が強い国民性をもっています。使うことばにしても食事の文化にしても、うちの地域はあそことは違うから、といった話をよく聞きます。ただし、もっと広い視野で全体のことを考えると、共通のアイデンティティをもつもの同士が連帯することで得られる利益のほうがずっと大きい。そうした意識ももっているわけです。
加えて、イタリアの自治体は日本と比べるとだいぶ小さい。合併もほとんどなく、500人とか1000人、多くても3000人くらいのコムーネ(自治体)が大半です。そうなると、個々でやれることはかなり限られてくるので、だったらお互いに協力し合うほうがいい、という歴史的な経験もあると思います。
──関係する人びとの集団規模の小ささ、という背景もあるわけですね。
そして、連帯する上でとても大切なのは、意欲的なプロジェクトを支援する補助金の制度が充実していること。小さなグループや個人がスタートアップをするとなった場合、州の担当者が指導や審査に関わってくれるのですが、日本のように3年ごとに担当者が変わったりせず、10年20年とライフワークのように同じ担当者がついてくれます。
さらに、出来上がった計画書などを審査するのは、イタリア政府ではなく、EUです。補助金もEUから出ます。EUにはヨーロッパ全体を底上げするコンセプトがありますので、短期的には非効率な農業だとしても、結果的にヨーロッパの個性につながるものであれば応援してくれる。そのおかげで、イタリア政府に任せていたらお金が回ってこないような南イタリアや中山間部の地域にも補助金が出ます。
──なるほど、いろいろと日本とは事情が異なりますね。
日本では自治体の範囲内でしか考えないので、隣町が何をしているのかわからないんですよね。中央の縦割り行政が、地方の自治体にまで及んでしまっている。国の力が強いせいで、地方の市長や担当者がわざわざ東京へやって来て、補助金を獲得することばかりを考えている。隣の自治体と連携して広域で考えることがほとんどない。しかも、テリトーリオは縦割りの行政ではうまくいきません。テリトーリオは固定したものではなく、目的意識によって伸縮自在に考えるべきもので、縦割り行政の枠を超えなければいけません。
──共通の利益のために自治体同士が連帯する背景はよくわかりました。そんななかで、個人の生産者や役人ではなく、いわゆる民間の企業というのはどういった役割を果たすのでしょうか。それこそ、資本主義的な考えをもち込んで、利益拡大を目論むような企業が現れたりはしないのですか。
大変興味深い視点ですね。わたしはそのあたりの専門家ではないので、あまり深くお話しはできないのですが、イタリア語に「アジィエンダ・アグリーコラ」ということばがあります。日本語には訳しづらいのですが、英語だとエージェンシーですかね。牛を飼ってミルクを搾ったり、チーズの加工なんかをやっていたりする小さな母体をアジィエンダ・アグリーコラと言うわけですが、農園、農場を超えた響きを感じます。イタリアではこういった加工業、いわゆる6次産業がとても重要で、ほとんどが家族経営の規模です。逆に大規模な農場はなく、小さい規模でクリエイティブな活動・経営をしています。
──日本でも数としては中小企業のほうが圧倒的に多いですが、そのほとんどが大企業の下請けになっていますよね。イタリアはそうではない?
イタリアでは違いますね。例えば、ワインの生産者がどうやって販路を広げていくかというと、ヴィニタリーと呼ばれるヴェローナ市で開催されるワインの見本市へ行き、そこで直接バイヤーやキーパーソンと知り合い、販売します。もっと特化したワインの見本市もあるそうです。あるいは、シェフと知り合って、レストランに直接売ることもある。大手に卸したりはしないんですよ。なぜそれが可能かといえば、やはり生産者が誇りをもって、自分の名前で商品を出しているからでしょうね。
カンパーニア州のコムーネ、トラモンティにて。チーズ工房のアジィエンダ・アグリーコラ
星付きの名店がある場所
──これまで陣内先生が長年研究されてきた「テリトーリオ」ということばが、ここ数年で日本でも注目を集めるようになってきたことについては、どのように感じていますか。
わたしはこれまで、法政大学で経営学を教えている木村純子教授と共著で2冊の本を出しているのですが、1冊が『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』というタイトルで、2冊目が今回の『南イタリアの食とテリトーリオ:農業が社会を変える』です。1冊目は都市と農村の交流を復活させる鍵としてのテリトーリオの重要性を論じた本でした。それが2冊目では思い切って食を前面に押し出して、タイトルにも“食”を入れた途端、日本の方々は目を輝かせて手に取ってくださったんですね(笑)。
──やはり“食は”強いですね(笑)。
実はイタリアが食に対して自信を取り戻したのは、1980〜90年代からなんです。80年代半ばくらいまで、イタリア料理のシェフはフランス料理にコンプレックスをもっていた時期もあったようで。特にワインに関しては、フランスには絶対かなわないと思っていたと。それがやはりテリトーリオ戦略のなかで、農業や田園をはじめ、地域の文化が見直され、スローフード運動を経て、いまでは地産地消の象徴として、どのワイン農家も自信をもっている。イタリアでは地産地消のことを「キロメトロ・ゼロ」といって、生産者と購入者を最短距離で結ぶことを目指しています。かなり理想的な考えですが、わたしはとても気に入っているんです。
──近年の動きの、どのあたりが魅力的なのでしょう。
イタリアでは、高いお金を出して遠くから食材を集めるのではなく、地元でとれたものを生かして、その地域でしか食べられないおいしい料理を食べさせる、それが有能なシェフの証しであり、そこに価値があるのだ、という考えに変わったんです。食材に限らず、料理の種類としても、宮廷料理に由来する複雑な調理が醍醐味のフランス料理とは違い、イタリア料理は家庭料理に由来する素材の新鮮さを生かす調理法です。地中海ダイエットなんていうのも流行りましたよね。なので、イタリア国内でミシュランの星が付くような名店は、大都市にはあまりなく、地方の小さい村にこそある。
そのことは「アグリトゥリズモ」にもつながっています。アグリトゥリズモとは、その地域の食材や豊かな自然を楽しむ観光のことで、テリトーリオとしても重要です。このアグリトゥリズモでは、食べる料理の半分以上を地元産の食材でまかなう、といったルールが設けられていて、地産地消が保証されているんです。
──日本の国内旅行でも、例えば熊本へ行ったら、とりあえず馬刺しと辛子蓮根を食べる、みたいなことはありますが、果たしてそれが地産地消といえるのか心もとないところがあります。
それはアグリトゥリズモとは違いますよね。ただ、馬刺しであれば馬を飼っている畜産家がいますし、蓮根を育てている農家もいる。それはテリトーリオではあるんですよ。
プーリア州のコムーネ、チェリエ・メッサピカにて。有名レストランの「チブス」
クリエイティブでテリトーリオを再構築
──テリトーリオが重要な考え方であることを理解した上で、あえてお聞きします。生まれ育った農村に誇りをもつこととは逆に、例えば都会に出てタワーマンションで暮らしたいとか、あるいは、都市部でも海や山のものがいくらでも食べられることが豊かさだ、といった視点もあると思うのですが、イタリアではそのあたりについて、どう考えられているのでしょう。
生まれ育った場所を離れて違う世界を味わいたい、という欲望は誰でももっていますよね。もちろんイタリア人でも、若いうちに都会へ行く人は大勢います。ただ日本と状況が違うのは、都会へ出たとしても故郷とのつながりは強いままで、頻繁に故郷とは連絡をとりますし、都市部で暮らしたことによって、逆に地元の良さを再確認するといったパターンが非常に多い。
また、これも日本とは違い、イタリアでは大都市に出ても、あまりいい仕事、都会ならではの面白い仕事になかなか就けないんですよね。日本も不景気ではありますが、大都会に行けばまだそれなりに稼げて、ほどほどの満足ができる仕事がそれなりにある。これは世界的に見ても恵まれている状況だと思います。そういった経済的な背景もあり、イタリアでは、一度都会に出たけれど、そのあと故郷に戻って、テリトーリオの魅力を再発見しながら、さらに都会で身につけた新しい価値観も発揮しつつ、より生きがいの感じられる仕事をしたい、という考え方の人が増えているように思います。
──都市で充足できるかどうか、の違いがあると。
一方で、これは日本とも共通しますが、親の考え方の問題というのはあります。イタリアでも、自分が苦労して農業をやってきたからこそ、子どもには大学を出て、都会の企業に勤めてほしいと考える親が一定数いるのです。ただ、ここでもテリトーリオに基づいて考えれば、小さな農村でも漁村でも、やり方次第でいくらでも刺激的でクリエイティブな仕事ができます。そのことが証明されたら、きっと親も胸を張って「継いでほしい」と言えるんじゃないかと、個人的には思いますけどね。
それともうひとつ世代的にいうと、近代化、工業化の真っ只中に生きた親の世代は継がなかったけれど、時代の価値観が変わり、孫の世代が継いだ、というパターンも増えているように感じます。小さい頃に祖父母のブドウ畑で遊んでいたとか、伝統的なチーズ加工のお手伝いをしていたとかいう孫たちが、新しい価値観でテリトーリオを再構築する例がいくつも見受けられます。ですから、20年ではなかなか変わらないものでも、40年あれば時代は変わるんだなと。
──再構築という意味では、先ほどお話にあったアグリトゥリズモ、観光は新しい価値観を発揮しやすく、農業や畜産とはまた別の可能性を秘めているように思えます。
そうですね。もともとのアグリトゥリズモは、疲弊して活気がなくなり、人がどんどんいなくなってしまった農業ゾーンや農家の経営をサポートしなければいけない、という考えで生まれた、法律によって保証された制度でした。一家のなかでアグリトゥリズモを担うのは妻や娘が多く、夫と息子は農業や畜産というパターンが定番で、収入の割合も少なかった。それがいまでは、一家の収入の半分をアグリトゥリズモが占めることも珍しいことではなく、重要な経済基盤になっています。
それに、観光というのは外の人たちと接することが仕事ですよね。仕事を通じて、言語も文化もまったく違う人たちと触れ合うことは、若い人にとって非常に魅力的です。しかも、日常的に外の価値観と触れ合うことは、社交好きなイタリア人のメンタリティにも合っている。都会で一日中コンピュータに向かうオフィスワークより、生まれ育った街を大切にしながら、個性豊かな環境のなかで自分らしい人生を送りたいと考える人がイタリアでは増えている。テリトーリオの考え方は日本の今後にとっても大きな意味をもつに違いないと思います。
次週7月9日のニュースレターは、「中国の音楽を世界に発信する日本の音楽レーベル」であり、多くの中国のミュージシャンをライブで日本に招聘している、PANDA RECORDへの取材記事をお送りします。活動をはじめるに至った思い、その後の歩み、中国人・日本人オーディエンスへのアプローチなどをうかがいます。お楽しみに。
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書籍『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
どんなにグローバリゼーションが進もうと、料理は「その時/その場所」でしか味わえない。どんなに世界が情報化されようと、「食べること」はバーチャル化できない。料理を味わうという体験は、いつだってローカルでフィジカルだ。歴史化されぬまま日々更新されていく「その時/その場所」の営みを、23の断章から掘り起こす。WORKSIGHT史上、最もお腹がすく特集。
◉エッセイ
#1「サフラジストの台所」山下正太郎
#2「縁側にて」関口涼子
#3「バーガー進化論」ジェイ・リー/ブルックス・ヘッドリー
#4「ハイジのスープ」イスクラ
#5「素晴らしき早餐」門司紀子
#6「トリパス公園の誘惑」岩間香純
#7「パレスチナ、大地の味」サミ・タミミ
#8「砂漠のワイルドスタイル」鷹鳥屋明
#9「ふたりの脱北者」周永河
#10「マニプールの豚」佐々木美佳
#11「ディストピアの味わい」The Water Museum
#12「塀の中の懲りないレシピ」シューリ・ング
#13「慎んで祖業を墜すことなかれ」矢代真也
#14「アジアンサイケ空想」Ardneks
#15「アメイジング・オリエンタル」Go Kurosawa
#16「旅のルーティン」合田真
#17「タコスと経営」溝渕由樹
#18「摩天楼ジャパレス戦記」佐久間裕美子
#19「石炭を舐める」吉田勝信
#20「パーシャとナレシュカ」小原一真
#21「エベレストのジャガイモ」古川不可知
#22「火光三昧の現場へ」野平宗弘
#23「収容所とただのピザ」今日マチ子
◉ブックガイド
料理本で旅する 未知の世界へと誘う33 冊のクックブック
◉表紙イラスト
今日マチ子
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0930-9
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税