ノンクロンしよう:インドネシアのコレクティブ文化に見る、「分け合うこと」の連鎖と循環
人が集まると、そこから何かが生まれる。そうして集団から生まれたものは、自分ひとりでは思いもよらなかった景色を見せてくれることがある。インドネシアを代表するアーティスト・コレクティブ「ルアンルパ」(ruangrupa)は、世界的に活躍する一方で、地元ジャカルタで20年以上にわたってコミュニティと協働し、インフラと資源の循環を培ってきた。インドネシア独自の伝統に根ざした、そのコレクティブ的思想とは。
インドネシアのコレクティブ「ルアンルパ」のメンバーたち。左からダニエラ・プラプトノ、ジュリア・サリセティアティ、アデ・ダルマワン、ファリッド・ラクン、イスワント・ハルトノ、ミルワン・アンダン、レザ・アフィシナ、アジェン・ヌルル・アイニ(手前)、インドラ・アメン、オームレオ photo courtesy of Saleh Husein/ruangrupa
近年、コレクティブということばがもてはやされるようになって久しい。その象徴となったのが、2022年に開催されたドイツの国際現代美術展「ドクメンタ15」で、インドネシアのコレクティブ「ルアンルパ」がアーティスティック・ディレクターを務めたことだろう。彼らは、主にグローバル・サウスのコレクティブを招待し、参加アーティストの間で知識や資金、設備などの資源を分有する「ルンブン」(lumbung:インドネシア語で米倉の意味)を実践。「アートではなく、ともだちをつくろう」というモットーの下、人種も文化も異なるコレクティブ同士が長い時間をかけて対話し、協働することで芸術祭をつくりあげた。
2022年6月15日、筆者はドクメンタ15のメディア向けの内覧会を訪れていた。世界各地のコレクティブが一堂に会して芸術祭の開幕を祝福する姿、そして会場に溢れるポジティブなエネルギーに圧倒されたのを覚えている。ルアンルパが実践した西洋とは異なるキュレーションや関係性の構築、意思決定のプロセスに、「集まること」の可能性と未来を感じた。
ところがドクメンタの開幕直後、反ユダヤ主義とその対応をめぐって、ドイツ国内で大炎上が起きてしまう。ここでは詳細に触れないが、市民や専門家を巻き込んでさまざまな議論が行われたものの事態の収束への兆しは一向に見えなかった。「コレクティブ」に対する高まりきった熱が、一気に冷めていくようだった。この問題が非常にナイーブなものであることは承知しているが、筆者が現地で感じたコレクティブの熱気や、世界中のコレクティブが提示した多声的な視点までもが覆い隠されてしまったことに、はがゆさを感じずにはいられなかった。
そもそも「コレクティブ」は、ただの芸術のいちジャンル、あるいはトレンドとして消費されていいのだろうか。世界の分断がますます深まっているいま、改めて「集まること」にはどのような意味があるのか。インドネシア社会に浸透しているコレクティブ文化にヒントを求めて、ルアンルパのメンバーであるファリッド・ラクンに話を聞いた。
interview by Makoto Okajima, Ryota Akiyama, Sayu Hayashida
text by Makoto Okajima
ファリッド・ラクン|farid rakun アーティスト・コレクティブ「ルアンルパ」のメンバー。大学で建築を学び、現在はジャカルタを拠点にアーティスト、ライター、編集者、教師、アクティビストとして活動している。 photograph courtesy of Jin Panji/Gudskul
当たり前で特別な「集まること」
「2000年にルアンルパが発足した当時、わたしたちは『コレクティブ』ということばは使わず、自分たちのことを『アーティスト・グループ』と呼んでいました。コレクティブということばが自然と出てこなかったことに気づいたのは、最近のことです。国際的なネットワークを築き、各国のビエンナーレに参加するなかで、このことばを使うようになりました。コレクティブはもしかすると、わたしたちが取り入れた西洋的な概念なのかもしれません」
ファリッド・ラクンがそう語るように、ルアンルパとしての活動を始めた当初、彼らは自分たちのことを「コレクティブ」の実践者だとは考えていなかった。人が集まって時間や空間、知識や資源を共有することは、インドネシアにおける日常生活の一部であり、ごく当たり前のことだったからだ。
例えばインドネシアの農村地域では、「ゴトン・ロヨン」(gotong royong)と呼ばれる相互扶助の習慣が何世紀にもわたって実践されてきた。他にも「プサントレン」(pesantren:伝統的な住み込み制のイスラム学校)、「サンガール」(sanggar:民族のアイデンティティにも関わる音楽、舞踊、美術などを学ぶ場)、「ニャントリッ」(nyantrik:ジャワに残るヒンドゥー教や仏教の慣習で、前出のpesantrenと同じルーツをもつ。そこから、ある場所で寝食をともにし、師から知識を受け継ぐことを意味する)など、いわゆるコレクティブ的な実践は、古くからインドネシアの伝統的な慣習・制度として社会構造に取り入れられてきた。
「インドネシアにおけるイスラム教は、中近東のそれとはほとんど別の宗教と見なすことができるでしょう。現地の生活文化や古来のアニミズム信仰と融合し、本来とは異なるかたちでイスラム文化が受容されました。わたしは歴史の専門家ではありませんが、学校でそのように習った記憶があります。同じようにヒンドゥー教やキリスト教、仏教などもインドネシアに渡ってから独自の発展を遂げました。これらの文化は互いに混ざり合っていましたが、インドネシアが国民国家として成立する過程で、宗教が体系化され、信仰や慣習が形式化されるなかで切り分けられていきました。
しかし、それらはわたしたちの文化的DNAのなかに根強く残っています。ゴトン・ロヨンやサンガール、あるいはドクメンタ15で提示したルンブンなどは、そうした文化遺産の一部です。インドネシアの多くの人びとにとって日常的なもので、説明せずとも自動的に理解される概念といえます。これらのことばは、(例えばメガワティ・スカルノプトリ元大統領が『ゴトン・ロヨン内閣』を提唱したように)政府、軍、企業などによって、さまざまなかたちでしばしばトップダウン方式で利用されてきました。しかし、このことばが広く認知されていることは、わたしたちの文化にとってそれらが重要であることを示しています」
そんな「集まること」が社会システムのなかで醸成されてきたインドネシアだが、1968年から30年に及んだスハルト独裁政権下では、アーティストが 3 人以上集まれば反勢力集会と見なされるなど、集団での活動が大幅に制限された。その後、1998年にスハルト元大統領が失脚。社会が民主化の方向へと動き始めた2000年、ルアンルパは結成された。90年代後半に美術大学の学生だった初期メンバーたちは、表現の抑圧や集会の禁止を多感な時期に経験している。誰かと集まって何かをすることは、インドネシアの歴史的・文化的には当たり前のことでも、この世代にとっては特別なことだった。
インドネシアの寄宿制イスラム学校「プサントレン」は、ジャワがイスラム化した14世紀後半〜16世紀後半ごろからすでに存在していたとされる phograph by Garry Lotulung/Anadolu Agency via Getty Images
「ノンクロン」する場所をひらく
ルアンルパは、6人の創設メンバーが資金を出し合って一軒家を借りるところから始まった。グループ名について、「ruang」は空間や家、「rupa」はビジュアルを意味するという。展覧会やアートプロジェクト、音楽イベント、レジデンシープログラム、ジャーナルの発行などを通して、インドネシアの都市生活や文化的課題にアプローチしてきた。さまざまな取り組みを行うなかで引っ越しを繰り返し、その拠点も活動の規模も次第に大きくなっていった。ファリッド・ラクンは、ルアンルパに出会った当時のことをこう振り返る。
「わたしがルアンルパに出会ったのは、2000年代前半、ルアンルパ創設から間もない頃でした。大学で建築を専攻していたわたしは、空間(ruang)という側面に特に興味をそそられたのです。彼らと付き合うようになり、ジャカルタの社会住宅でのプロジェクトやレジデンシー・イニシアチブなどに参加しました。これらのプロジェクトは、単に物事の良し悪しを判断するのではなく、都市生活の複雑さを理解することを目的としたもの。わたしにとって、ドキュメンタリーのような探検でした。空間とアートのユニークな融合に魅了されたわたしは、いつの間にかルアンルパの一員になっていました」
そもそも「(アート)コレクティブ」ということばには、厳密な定義がなされているわけではない。英国の美術館テート・モダンは、同館ウェブサイトの美術用語集において「共通の目的を達成するために共に活動するアーティストの集団」であり、「集団内で活動するアーティストたちは、共有するイデオロギー、美学、あるいは政治的信条によって団結する」としている。
興味深いことに、ルアンルパのコレクティブ形成のプロセスは、上記のコレクティブの定義とは真逆である。すなわち、共通の目的や思想をもった人たちが集まってコレクティブを形成するのではなく、まずは目的もなく集まることから何かが生まれるのだ。その背景には、「ノンクロン」(nongkrong:仲間とぐだぐだおしゃべりしたり、お酒を飲んだりすること)というインドネシアで昔から根付いている慣習がある。
「『ノンクロン』は、わたしたちがよく使うことばです。インドネシアでは、多くの人がノンクロンを実践していますが、特に新自由主義的な観点からは非生産的だと思われがちです。しかし、特定の目的をもたずに誰かとだらだら時間を過ごすことこそが、ルアンルパが提供できるもの。非生産的であることが、ノンクロンのポイントなのです」
上:2001年ごろ、創設されたばかりのルアンルパの面々 photograph courtesy of ruangrupa 下:現在のルアンルパの拠点。ルアンルパは2018年以降、ジャカルタを拠点とする「Serrum」「Grafis Huru Hara」というふたつのコレクティブとともに、ここでオルタナティブスペース「GUDSKUL」を運営している photograph courtesy of Jin Panji/Gudskul
ルアンルパの拠点スペースは24時間一般に開かれており、誰もがいつでもノンクロンすることができる。特に何をするわけでもなく毎日やって来る人、ただ本を読んで過ごす人、たまに掃除をする人、アパートの家賃が払えなくて寝泊まりに来る人……。しかし、ひとつ屋根の下で過ごすうちに信頼関係が築かれ、コレクティブにとって重要な存在になっていることも少なくない。
「わたし自身が受けてきた教育では、仕事や生産性を通じて、どうすれば価値ある存在になれるか、どうすれば社会の役に立つことができるかを考えるよう訓練されてきました。しかし、ルアンルパをはじめとするインドネシアのコレクティブでは、そこにいるだけで価値があると見なされます。怠けているように見える人たちも、一緒に時間を過ごすなかで、実は集団のなかで重要な役割を果たしているということがわかってきました。もちろん、すべての人がそうではないにせよ、彼らはしばしば社会的な接着剤のように、個人間のつながりを促進します。最初はあまり貢献していないように見えるかもしれないけれど、やがてその目的がはっきりしてくるのです。
彼らは社会的な結びつきを強めたり、対立を仲裁したり、グループのためにバランスの取れた決定を下したりといった役割を担っています。他にも掃除、軽食の提供、スペース運営のための事務作業など、気づかれないことの多いメンテナンスもしています。これらの仕事は誰でもできるように見えて、グループの結束力と機能性にとって極めて重要です。彼らは単に、コレクティブ内でアーティストとはタイプの異なる役割を果たしているだけなのです」
さらに驚くことに、ルアンルパはメンバー制をとっているわけではなく、核となる数名のメンバー以外に、数十名のメンバーが有機的に出入りしている。コアメンバーでさえ、どこまでをルアンルパとしてカウントしていいかわからないという。こうしたある種の「いい加減さ」が、ルアンルパの不定形でオーガニックなあり方を可能にしているのかもしれない。
上:ルアンルパの以前の拠点で、他のコレクティブと共同で運営していた「サリナ倉庫エコシステム」の内部。共有スペースの一角には、彼らが運営する「RURUラジオ」のラジオ局も photograph courtesy of Gudang Sarinah 下:カフェやフードスタンドなどもあり、アーティストや美大生をはじめ、ライター、リサーチャー、ミュージシャン、DJ、デザイナーなど、さまざまなバックグラウンドをもつ人々が日夜集っている photograph courtesy of Gudskul
力関係を分散させる「マジェリス」
ルアンルパのコレクティブ性に対する考え方は面白いが、正直、どこかユートピアのように聞こえなくもない。異なる視点や価値観、役割をもつものが集まれば、メンバー同士の不和や衝突が起こることは容易に想像できる。また集団のなかではシャイな人、声を上げることに勇気がいる人もいて、往々にして「声が大きい人が勝つ」という状況も生まれかねない。そうした場面に、彼らはどう対応しているのだろうか。
「衝突はわたしたちにとって日常茶飯事です。問題はそれにどう対処するか。わたしたちは活動を通して、対立が人生の自然な一部であることを認識し、対立と共存することを学んできました。具体的なインスピレーションになっているのが、『マジェリス』(Majelis:アラビア語で座る場所、共同体で重要な問題を話し合うための集会の意味)というインドネシアの慣習です。わたしたちは定期的にマジェリスを開くことで、コレクティブとしての意思決定や問題への対処を行っています。誰かひとりが決定を下すことはありません。
例えば、声が小さい人、シャイな人の可能性を引き出すには、まずは彼らが輝ける場所をつくる必要があります。さまざまな方法がありますが、そのひとつは集会を行う際のリーダーに任命すること。基本的にリーダーの役割はもち回りで、同じ人が何度も独占することはありません。もうひとつは、意思決定のプロセスにおいて大きなグループではなく、小さなグループに分けて話し合いを行うことです。こうすることで小さな声を拾い上げることができ、複数の視点が考慮されるようになります」
マジェリスという方法論が示しているのは、ただ人が集まっただけではコレクティブになれないということだ。他者の声に耳を傾け、話し合うことで初めて、コレクティブとしての共同作業が可能になる。こうした話し合いが行われるために必要なのが、ノンクロンによって生まれる個人的で親密な交流であり、メンバー同士の社会的な絆であると、ファリッド・ラクンは強調する。
「同じ空間で長い時間を共に過ごすことで、ルアンルパのメンバー間にはお互いを深く理解する家族的な雰囲気が生まれます。互いにつながりをもち、居心地が良いと感じれば、心を開いて自分の考えやアイデアを共有しやすくなります。その人が公の場で何を話すかということだけでなく、何がその人を駆り立てるのか、何がその人の人生にとって重要なのかを理解することが重要なのです。
ある人がたとえ話し合いの場で声を上げなかったとしても、彼らが直面しているかもしれない課題について認識することも大切です。時間をかけて互いの苦悩や懸念を理解することで、コレクティブとして互いをよりよくサポートすることができるのです。歴史的に疎外されたり見過ごされたりしてきた人たちの声に耳を傾けようとする理由は、わたしたちがかつて(スハルトの独裁政権下で)そのような状況にあったということもあります」
GUDSKULで行われているマジェリスの様子 photograph courtesy of Gudskul
コレクティブ同士で「ルンブン」を共有
ルアンルパの活動の規模が拡大し続けるなかで、彼らは生き残り戦略のひとつとして、他のコレクティブとのコラボレーションを行うようになった。そこで始めたのが、彼らが「エコシステム」と呼ぶ仕組みだ。これは単に、複数のコレクティブでひとつのプロジェクトに取り組んだり、活動拠点をシェアしたりするというだけではない。それぞれがもっている人材や知識、資金などを集約し、そこから再分配することで、大きなコレクティブも小さなコレクティブも持続的に活動できる。これはまさにドクメンタ15で実践された「ルンブン」だ。
「ルンブンとは、もともとインドネシアの収穫物を保管するためのスペースで、共同体で管理されているものです。かつては多くの家が敷地の前にルンブンを置いており、それらはいまでもロンボク島やバリ島で見られます。ルンブンは、共同体のバランスを保つために重要なものです。資源が少ない人は余っている人からもらうことができ、コミュニティ内の赤字と黒字に対処できる。 わたしたちはルンブンということばを、単なる物理的な保管場所という意味を超えて、共同体が管理する資源を指すものとして使っています。これにはお金、知識、歴史、空間などが含まれます。わたしが家をもっているとしたら、それはわたしのものであるだけではなく、他の人も使うことができるものなのです」
上:ルアンルパのメンバー、イスワント・ハルトノによる「ルンブン」のスケッチ courtesy of Iswanto Hartono/ruangrupa 下:GUDSKULで開かれるパーティは、おいしい食事を囲みながらいつも大勢の人でにぎわう photograph courtesy of Gudskul
ルアンルパは2018年、教育を柱とするコレクティブ「Serrum」、印刷集団の「Grafis Huru Hara」とパートナーシップを組み、「GUDSKUL」(グッスクル、Good Schoolの意味)というアートと教育のプラットフォームをつくった。そこではさまざまなプログラムが提供されており、例えば2024年に開講している講座を見ると、「ファインアート・ライティング」「アーティストになる方法」「ロゴデザイン制作」「ファッション・イラストレーション」など多岐にわたるテーマが並ぶ。名前の通り「学校」ではあるが、GUDSKULのあり方は教える/教えられるという関係性にとどまらない。そこではみんなが「先生」であり「生徒」なのだ。お互いの知識や経験を共有し、協力し合える仲間とのつながりを育てることで、エコシステムを内側から拡大していく。
「こうしたコラボレーションは、わたしたちのエコシステムを豊かにしてくれます。わたしたちは他者を巻き込みながら前進することに関心があります。もし自分たちだけで活動していたら、ルアンルパはとっくに存続できなくなっていたでしょう。ここで重要なのは、自分たちの周りには、協力し合える他者が常に存在することを認識していることです。それによって、日常生活や意思決定のプロセスにおいて、多様な視点や経験を得ることができるのです」
ここでファリッド・ラクンが、「次が最後の質問でもいいですか?これから娘を迎えに行かなくちゃいけなくて」と言う。彼にとってはなんでもない一言だろうが、それが妙に記憶に残った。ルアンルパとしての実験精神に富んだ活動と、インドネシアでの他愛のない日常が、彼のなかでシームレスにつながっているのを垣間見たからかもしれない。わたしたちは最後に、「ドクメンタ15という旅を終えたルアンルパは、どこに向かっているのか」という質問をした。
「ドクメンタ15での国際的なチャレンジは、大変なことも多かったけれど、大きな学びにもなりました。いま、自分たちが重点を置いているのはインターローカルな活動です。特にインドネシアや地元ジャカルタのさまざまな小さなコミュニティとつながり、パートナーとしての関係を深めています。これは、自分たちが築いてきたエコシステムに根ざし、コミュニティに奉仕するというルアンルパの価値観に沿ったものです。そして来年、ルアンルパは25周年を迎えます。この節目を、地元ジャカルタの文脈のなかでどのように祝おうかと考えているところです」
次週7月2日のニュースレターは、『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』の共編著者であり、イタリア建築史および都市史の顕学である陣内秀信さんへのインタビューをお届けします。「地域の文化、歴史、環境、その土地の農産物の価値を高め、都市と農村の新しい結びつきを生む社会システム概念」であり、そこには「地域住民が主体的に活動するロジックが含まれている」という「テリトーリオ」から見えてくる可能性とは。お楽しみに。
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photo by Hironori Kim
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どんなにグローバリゼーションが進もうと、料理は「その時/その場所」でしか味わえない。どんなに世界が情報化されようと、「食べること」はバーチャル化できない。料理を味わうという体験は、いつだってローカルでフィジカルだ。歴史化されぬまま日々更新されていく「その時/その場所」の営みを、23の断章から掘り起こす。WORKSIGHT史上、最もお腹がすく特集。
◉エッセイ
#1「サフラジストの台所」山下正太郎
#2「縁側にて」関口涼子
#3「バーガー進化論」ジェイ・リー/ブルックス・ヘッドリー
#4「ハイジのスープ」イスクラ
#5「素晴らしき早餐」門司紀子
#6「トリパス公園の誘惑」岩間香純
#7「パレスチナ、大地の味」サミ・タミミ
#8「砂漠のワイルドスタイル」鷹鳥屋明
#9「ふたりの脱北者」周永河
#10「マニプールの豚」佐々木美佳
#11「ディストピアの味わい」The Water Museum
#12「塀の中の懲りないレシピ」シューリ・ング
#13「慎んで祖業を墜すことなかれ」矢代真也
#14「アジアンサイケ空想」Ardneks
#15「アメイジング・オリエンタル」Go Kurosawa
#16「旅のルーティン」合田真
#17「タコスと経営」溝渕由樹
#18「摩天楼ジャパレス戦記」佐久間裕美子
#19「石炭を舐める」吉田勝信
#20「パーシャとナレシュカ」小原一真
#21「エベレストのジャガイモ」古川不可知
#22「火光三昧の現場へ」野平宗弘
#23「収容所とただのピザ」今日マチ子
◉ブックガイド
料理本で旅する 未知の世界へと誘う33 冊のクックブック
◉表紙イラスト
今日マチ子
書名:『WORKSIGHT[ワークサイト]23号 料理と場所 Plates & Places』
編集:WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社)
ISBN:978-4-7615-0930-9
アートディレクション:藤田裕美
発行日:2024年5月15日(水)
発行:コクヨ
発売:学芸出版社
判型:A5変型/128頁
定価:1800円+税