サーキュラーな視点を養う3冊| 大山貴子・選【つくるの本棚 #2】
これからの「つくる」を考えるべく、各界の識者が3冊の本を紹介する「つくるの本棚 」。第2回は、自然と社会のサーキュラリティ(循環)をデザインする会社「fog」代表の大山貴子さんに、サーキュラーな視点を養うための3冊を選んでいただきました。
「サステナブル」「SDGs」という言葉が広く浸透した一方で、社会課題を一過性のブームとして捉えただけの表面的な取り組みも多く見られる。しかしこの先も長く続く未来のためには、製品に関わる人や環境、文化のことまで考えた、本当のサーキュラーエコノミー型のものづくりへ転換していかなければいけない。
「つくるの本棚 」第2回は「fog」代表の大山貴子さんが、「サーキュラーな視点を養う」をテーマに本をセレクトします。
text by Takako Ohyama
photographs by Yuri Manabe
【つくるの本棚 #2「サーキュラーな視点を養う3冊」大山貴子・選】
『つづくをつくる:ロングライフデザインの秘密』
ナガオカケンメイ |西山薫、日経デザイン・編|日経BP
『アウト・オブ・民藝』
軸原ヨウスケ、中村裕太 |誠光社
『生きのびるためのデザイン』
ヴィクター・パパネック |阿部公正・訳|晶文社
今年の夏は暑い。日本のニュース番組では耳にしないが、観測史上類を見ない猛暑が続くイギリスの天気予報では、この暑さを「気候変動の影響」とはっきり伝えている。数年前から聞かれ始めた「気候変動」は対岸の火事ではなく、実際に自分たちの暮らしに影響し始めている。そんなこの先の未来において、ものづくりに関わる人の意識はどう変化していくのだろうか。
私は循環型社会を実現するための人の視点をデザインする会社、株式会社fogの代表を務めている。弊社では、企業や自治体に向けたコミュニティ育成やビジョン・パーパスデザイン、サーキュラーエコノミー変革など伴走型のコンサルティングをするとともに、東京都台東区にてélab(えらぼ)という持続可能な未来を描いていくための衣食住のサーキュラーハブを営み、循環型社会の概念を暮らしに落とし込む実験を行っている。今回はものづくりにおいてサーキュラーエコノミーを実現するための前提条件になる私たち一人ひとりの視点を養う上でおすすめしたい3冊を紹介する。
幸か不幸か、政府による企業への脱炭素社会に向けた活動要請により、サステナブル・SDGsというキーワードを日々目にすることが多くなった。テレビやラジオ、雑誌などのメディアも躍起になってSDGsを銘打ったキャンペーンや特集を発信している。メーカーでは、気候変動における将来的な原材料調達の懸念やステークホルダーからのニーズに応えるべく、CO2を抑える事業の推進や、サーキュラーエコノミー型の製品開発などに取り組んでいる。私たちは、ものづくりにおけるこれまでの大量生産大量廃棄のあり方を覆すべき大転換期にいるのである。
社会の6つのレイヤー
『ホール・アース・カタログ』の創刊者として知られるアメリカの編集者、スチュアート・ブランドは、自著『The Clock of the Long Now : Time and Responsibility』にて社会システム構造を流行(Fashion)、商業(Commerce)、インフラ(Infrastructure)、統治(Governance)、文化(Culture)、自然(Nature)という6つの階層に分類するペースレイヤリングを提唱した。
スチュアート・ブランドが提唱した「ペースレイヤリング」。『The Clock of the Long Now : Time and Responsibility』より
レイヤーが外側になるほど変化するペースが速く、不連続である。「流行」がそのまま存続するためには、その内側にあるレイヤーのペースを理解し、尊重し合わなければならない。内側のレイヤーが外側のレイヤーの土台となり支えることで、外側のレイヤーが存在意義を発揮していくのである。一番内側のレイヤーである「自然」のペースが尊重されずに乱れてしまえば、その他のレイヤーも崩れてしまう。まさにいまのものづくりにおける状況はそれに近いものがある。
サーキュラーエコノミー型のプロダクトデザインにおいて重要なことは、CO2を抑制させるサプライチェーンの見直しを行うだけでは十分ではなく、むしろそのものの周辺に関わっている環境や産業、地域、住人、暮らしなどといったものづくりにおいて対象とされるステークホルダーが満足するかたちで「必要である」と思えるものでなければならない。昨今のサステナブル「ブーム」において猫も杓子も、サステナブル的な何かを生み出すというのでは、「とりあえずつくっている」感が否めない。この先の地球が続いていくために私たちがいま必要なものは、流行のレイヤーで何でもかんでもサステナブル・サーキュラーなものをつくるのではなく、生物多様性が保全されている、あるいは文化的に根付いていくなど、すべてのレイヤーにおいて調和が取れる製品を生み出すことである。
このレイヤーを参考にしながら、長くものづくりを続けていく方法を過去から今まで続いてきたデザインから学ぶことはできないだろうか? 工芸品の文脈や100年企業が続いてきた理由などから、そのヒントを探りたい。
関わるすべての人を思いやる
D&Departmentを手がけ、デザイン活動家でもあるナガオカケンメイ氏が書かれた『つづくをつくる:ロングライフデザインの秘密』では、ロングセラーである製品を生み出しつづけている企業にナガオカ氏自らがインタビューを行い、その製品がつづいている理由を探っている。
『つづくをつくる』(ナガオカケンメイ |西山薫、日経デザイン・編|日経BP)「長くつづいているデザインには、いわゆる表面的なデザイン以外の創意工夫があるはず」。デザイン活動家の著者が、ロングセラー商品をもつ企業を訪ね、その秘密を探る。
ナガオカ氏は本書のあとがきで、紹介した企業の事例について以下のように述べている。
それらは商売の前に「ひとへの思い」があり、その関係性には多くの時間が費やされている。表面的なデザインだけが良くても、他のすべてがそうではないと、ロングセラーにはならない。つまり、つづいているものたちには、時間をかけたひととのつながりによる気配があり、つづけようという意識がありました。あえてもう少しいえば、表面的なデザインなど、関係ない程に。そして、デザインの意味はますますこうしたロングセラー商品だけが持つさまざまな思いのことになっていくようにも、感じました。(中略)ひとの温もりが宿っているもの。そういう意識でつくりつづけられるものたちには、つづくがあるのです。(pp.241-242)
顧客からのニーズやトレンドに合わせて付け焼き刃的にサーキュラーエコノミー「風」の製品開発を行ったところで、実際にそれが使いつづけられるものでなければ、詰まるところ、これまでの大量生産型のモデルと変わらない。たとえば昨今ファッションの分野においては、リサイクルペットボトルなどの再生素材を使うことで環境に配慮していると謳う製品を販売するブランドが増えている。しかしながら、製造工程はそのままに素材を変更しただけでは、結果として再生素材の廃棄が増えるだけなのだ、ということを繊維産業に携わる方から聞いたことがある。他にも、依頼された再生素材のファブリックが「自社が規定している品質水準に合わなかった」という理由ですべての廃棄を要求されるケースもあるらしい。こういった企業は、その背後にある人や環境への思い、その製品の先に生み出される未来が見えていないのであろう。
本書には、ナガオカ氏とファッションブランド「ミナ ペルホネン」の代表である皆川明氏との対談が掲載されている。皆川氏は長く愛されるデザインについて、「ものづくりは、使う人の暮らしの喜びに貢献するために始まりますが、プロセスに関わる人たちも幸せにしなければいけないと思っています」と語っている。ものづくりにおいて使い手のみを意識し値段設定を行うと、製造におけるつくり手の生活が苦しくなったり仕事を存続するのが難しくなったりして、結果的に工場を閉鎖せざるを得なくなるケースは日本中で発生している。安かったら買うという消費者心理はデザインの価値が足りていないために働いてしまう。「ミナ ペルホネン」のデザインはそこを補っている。また製品においても、シーズンが終わったからといってセールにするのではなく、販売しつづける。小さく余った端切れさえも小さい面積でつくれる製品を考えるなど布を最後まで使い切ることで歩留まりをなくし、使い手にもつくり手にも環境にも、経営にも優しいブランドを実現させている。
本書で紹介されているロングセラー製品に共通していることは、ひとつの製品に対してそこに関わるすべてのステークホルダーへの思いを宿らせ、関係性を持続させるための時間軸を設計しているという点である。ペースレイヤリングでいう、「流行」のレイヤーと「文化」や「自然」のレイヤーが尊重し合うことで互いに続いていく循環が生まれる。
製品は社会と接続している
ものづくりというテーマにおいて定期的に注目を浴びるのが民藝。軸原ヨウスケ氏と中村裕太氏による連続トークを書籍化した『アウト・オブ・民藝』では、民藝運動の「周縁」にスポットをあて、それらにまつわる人、もの、工芸運動といったネットワークについて語っている。本書では、のちに民藝品と言い換えられる安価で日常的な工芸品を指す「ゲテモノ」と西洋風の機械生産による工芸品を指す「ハイカラ」というふたつの言葉をもとに、1933年から3年半、日本に滞在したドイツの建築家 ブルーノ・タウトの活動や思想に着目している。
『アウト・オブ・民藝』(軸原ヨウスケ、中村裕太 |誠光社)民藝運動と近い存在でありながら、「民藝」としては扱われてこなかった民藝の周縁のものや行為にスポットをあてた対話集。資料を読み解くことで書き換えられる新たな「民藝」を巡る相関図から、21世紀のものづくりを考える。
タウトは日本滞在時に巻き起こっていた民藝を一歩引いて見ながら、その質について疑った。「げてものの本質が手工の巧緻にあることを忘れて、むしろ細工の粗野な点やそれどころか農民或は漁師の無骨な手が作品の上に遺してゐるがさつな趣に愛着をもつてゐるのである」と自身のエッセーにて民藝を批判している。たとえば、本来紅茶は薄い口のティーカップで飲むことでその美味しさを引き立て、文化的情緒を生み出すとされているのに、民藝運動は分厚い茶碗でそれを飲むことを推奨することによって、その用途や暮らしのクオリティを損ねていると懸念した。製品を生み出す行為においてその土地の土着文化や自然環境、暮らしに寄り添うものでなければならないという思いからであろう。
タウトの他、本書で「アウト・オブ・民藝」的思想をもっていたとされる建築学者の今和次郎、店舗デザイナーの川喜田煉七郎は、民藝でいう日本各地でつくられ使われてきた日常生活道具を、美術品に勝るものとしてそれが生まれた土地や風土を差し置いて評価するのではなく、そのものが生まれた土地で本来の用途のまま野趣的に使われている様子が望ましいとも説いていた。
「下手物」に注視し続けた民藝運動の周辺にいた、タウト、今和次郎、川喜田が何に注目していたのか。それは機械的に生産することや、身体的にモノを生み出していく行為ですね。そこらへんは今の時代にもう一度捉え直すと面白いですね。モノとしての民藝品だけでなくそれを使う身体や行為、さらに家という空間、そうした社会と切り離せないものとして考え直すことが必要ではないかと。(p.165)
サーキュラーエコノミー型のものづくりにおいて、私が考えるところとタウトの考えは似ている。ヨーロッパ諸国を主とするサーキュラーエコノミーは、原材料調達や最終処分場の確保の厳しさから発展した。日本は国土面積のおよそ70%を森林が占め、資源に恵まれた国という面でヨーロッパとは前提条件が異なる。ヨーロッパの事例をそのまま模倣したり輸入したりすると、日本の環境に寄り添うことが難しく、ペースレイヤリングでいう「流行」のレイヤーに留まる製品になる可能性がある。タウトたちが説いたように、ものとしてサーキュラーエコノミー型の製品を生み出すだけでなく、製品を、それを使う身体や行為、さらに家という空間、そうした社会と切り離せないものとして考え直し、原材料調達から消費・廃棄・再循環に至るライフサイクルを行うことで、環境も社会も人の営みも続けていく活路が見いだせるのではないだろうか。
デザインを統合的に捉える
最後にヴィクター・パパネックの『生きのびるためのデザイン』を紹介する。
『生きのびるためのデザイン』(ヴィクター・パパネック |阿部公正・訳|晶文社)有害な製品や生産工程が地球を汚しつづけているデザインとデザイン教育に正面から異議を唱え、使う人と使われる環境を考える〈生態学的デザイン〉への道を切り拓いた著者。すべての生活人のための名著。
フランク・ロイド・ライトに学び、ツンドラ地帯の先住民族やバリ族とともに暮らし、大学で教鞭をとったデザイナーであり教育者であったパパネックは、本書を出版した1971年当時に、大量生産・大量廃棄に加担するインダストリアルデザインや広告デザインというものを地球上で最も危険な職業であると辛辣に批判している。本書は二部で構成されており、第一部は「デザイン、その現状」と題し、今日実際に行われて教育されているデザインについての明確な規定と批判がなされ、第二部「デザイン、その可能性」では、「創造的想像力」をもったデザイナーへの期待、デザインの可能性が書かれている。
パパネックは、これまで人類が生み出してきたわらぶき屋根、木製家具などといった有機的な素材から生まれた製品は古くなるにつれて美しくなり、最終的にはきずや凹みができたり、さびたりもするが、最終的には有機的な要素へと分解されると語る一方で、今日のプラスチックなど安価な素材でできた製品は脆く、少しでも劣化したものは古いものとして廃棄されてしまう外観のみの美をよしとする時流に「表面と中身が分離されている限り、存続することはできない」と警報を鳴らす。その上で、人間、その手段、その環境、その思考法、計画の方法、人間自身とその環境の処理法といったことを、デザインの力で統合された包括的な全体として考えるべきだと説く。
繰り返していっておこう。デザインは人間の活動の基礎となるものだ。予知できる、望ましい目標に向けて行動を計画し、整えること、それがデザインのプロセスなのだ。デザインを孤立したものとして理解しようとすること、デザインをそれ自体としてとらえること、そうした試みはすべて、生の奥底深くに横たわる根源的な母体としてのデザインの本質に逆らうことなのだ。
統合的なデザインは包括的なものである。それは、意思決定(デシジョンメーキング)の過程に必要な要因や調整をすべて考慮しようとするものである。統合的、包括的なデザインは先を見越すものであり、全体の発展方向を認識し、たえず入手したデータで未知のものを推定し、またそれが組み立てる未来のシナリオから未知のものを推定してゆく。(p.233)
循環しつづけるサーキュラーエコノミー型のものづくりにおいて、デザインが担う役割は、そのサプライチェーンの川上から川下までに影響をもたらすという点で重要である。急速に変わりゆく環境や生活様式のなかでレジリエンスの高い製品・サービスのデザインが求められている。パパネックが語る孤立したものとしてデザインを理解するのではなく、その前後の文脈を読み解いた統合的なものとして捉えることで、未来を持続的にしていく製品を生み出すことが可能になる。未来のシナリオを推定し、逆算するという時間軸を想定したものづくりを行うこと、それはブランドのペースレイヤリングにおいては「自然」のレイヤーを意識しながら「流行」のレイヤーのものづくりを行うこと。それこそがサーキュラーエコノミー型のものづくりにおいて前提条件としてもっていたい視点である。
私たちがこの先の地球で生きのびていくためには、サーキュラーエコノミー型のものづくりへの転換は不可避である。今回紹介した3冊にはそのヒントが書かれている。このものづくりのトランジション期において、製品やサービスは、その用途のみならず、ものの周辺に関連する人、地域、環境、暮らし、産業といったステークホルダーも持続的であるということ、またペースレイヤリングにもあるような変化の軸におけるその製品自体やパパネックが説く未来洞察・シナリオを推定することで、環境や社会に好循環を促し本質的価値をもたらす存在になっていくのではないだろうか。
大山貴子|Takako Ohyama 1987年生まれ。ニューヨークにて新聞社、EdTechでの海外戦略、編集&ライティング業に従事。帰国後、 日本における食の安全や環境面での取り組みの必要性を感じ、2019年にサーキュラーエコノミーの実現を目的としたデザインコンサルティング会社、株式会社fogを創業。
来週9月13日は、映画のなかの民族が話す創作言語を学ぶファンのコミュニティに迫る「世界を立ち上げる新しい言語」(仮)をお届けします。お楽しみに。