ただブラックであることをアイデンティティにしたい|ヴァージルとレムの対話
建築を離れファッションの世界に飛び込み、ファッション界に旋風を巻き起こしたヴァージル・アブローを、建築界の異端レム・コールハースはどのように見ていたのか。貴重な対話から浮き彫りになるアブローのアイデンティティ、ヴィジョン、そして理想とは......この7月に刊行されたヴァージル・アブロー対話集『ダイアローグ』からの抜粋を特別掲載します。
ヴァージル・アブロー『ダイアローグ』平岩壮吾・訳(2022年7月刊行・アダチプレス)|2021年11月に急逝したファッション界の異端児ヴァージル・アブローがトム・サックス、レム・コールハース、ハンス・ウルリッヒ・オブリストなどアート・建築・デザインの最前線の知性との9つの対話を独自編集した必読の1冊。以下のテキストは本書からの抜粋。Photo by Kaori Nishida
ヴァージル・アブロー「建築のあとで」
レム・コールハース、サミール・バンタルとの対話【抜粋】
2019年1月7日
フェイクニュース、インフルエンサーの台頭、西洋文化の衰退──「なんでもあり」と「なにをやっても無効」の状態がかつてないほど混じり合った現代において、社会で活躍できる人を育成するための理想的な教育とはどんなものだろうか。卒業後の専門分野がどんなものであろうとも、おそらく構造工学こそが、現代文化においてもっとも特定しづらい現象を扱い、もっとも現実と直接的に対峙する術を教えてくれる学問領域であろう。重力をはじめとした「永遠」という課題への恒常的な取り組み、素材に関する深い知識、新旧の計算法。そう、工学(エンジニアリング)とは計算にほかならないのである。
この理想的な教育の第二レイヤーを成すのは(かつ工学へ申し分なく応用できるのは)、建築であろう。建築とは、高度に絡み合った空想を長期にわたり体系的に実現させることである。長らくのあいだ、これらの「空想」はもっぱら建物(ビルディング)にのみ集中してきた。しかし近年、建造物の非重要性をアリバイに、建築はこれまで縁のなかった分野に参加しはじめている。
ヴァージル・アブローはこのふたつの専門を組み合わせることにより、計算、忍耐力、方法論といった神話的ですらある素養を身につけた。かつては孤立していた各職業の境界線が崩れ、自己組織化したソーシャルメディアにより声が大きくなった自称「神童」世代によって諸分野が侵略されつつあるというこの歴史的な転換期に、彼はその三種の神器を手に入れたのである。
ヴァージル・アブロー_ この展覧会(註:2019年6〜9月にかけて、The Museum of Contemporary Art Chicagoで開催された「Figures of Speach」展。本鼎談はそのカタログに収録されたもの)は2、3年にわたり準備をしてきました。ルイ・ヴィトンからオファーが来たのは、その最中でした。
サミール・バンタル_ マイケル・ダーリン(「Figures of Speech」展のキュレーター)が「これこそ新しい文化だ」と見抜いたのがおもしろいですね。若者はもうゴッホ目当てで美術館に来ない。それならほかの価値を提示しなければ、と思ったわけですよね。
ヴァージル_ 驚くべきは、彼がその流れが来る前から動いていたことです。いまではどの美術館もこぞって、「カニエを呼ぼう。あなたの作品を見せてほしい」と声をかけてきます。ここ1年半はずっとそんな感じです。ですがマイケルと知り合った頃、私はまだ世間的にはほぼ無名の存在でした。
彼は当時開催されていた「West by Midwest」展で、アメリカの中西部から西海岸に移り住んだアーティストの作品を案内してくれました。デイヴィッド・ハモンズ、スターリング・ルビー、そしてルビーの妻でもあるメラニー・シフ。そして彼女が、かつてカート・コバーンがレコーディングに使ったとされるミネアポリスのホテルの一室で撮影した作品を見ながら、マイケルはこう言ったんです。「シアトル美術館にいたときはニルヴァーナの展覧会をしたよ」と。私はその図録に興味を惹かれました。アートの視点からニルヴァーナを考えてみたかったんです。偉ぶった芸術よりも、そういうもののほうに興味があるんです。
「Figure of Speech」のドーハ巡回展にて。November 4, 2021(Craig Barritt/Getty Images for Qatar Museums)
サミール_ 同感です。ヴァン・ゴッホに関する本は数百とありますから。
ヴァージル_ いま滞在しているホテルにも1冊ありました。でも30ページに書いてある内容も、最終章でなにが語られるかも、すでに知ってますからね。
サミール_ おもしろいですね。以前であればホテルにはギデオン協会の聖書が置かれていたわけですが、いまではゴッホの本がその位置を占めているという。
ヴァージル_ 私が大学から盗んだ本は見せましたっけ? ファンズワース邸を図面で解説した『GA』。それから、建築史の青い本(スピロ・コストフ『建築全史』)。
サミール_ 写真で見ましたよ。マイケルは美術館が抱えている問題、つまり若者を呼び込むことの困難を理解しながら、かれらと親和性のある新しいテーマを探していたわけですね。興味ぶかいのは彼がLVのディレクター就任前からあなたのポテンシャルを見抜いていたことです。
レム・コールハース_ 彼はどうやってきみを見つけたの?
ヴァージル_ 社交やディナーパーティとは無縁の、ごく普通の出会いでした。美術館からメールが送られてきたんです。アシスタントは講義の依頼だと思っていました。マイケルははじめ、私がシカゴ出身の建築家で、イリノイ工科大学で学んだという経歴に興味をもったようです。美術館という競争の激しいコミュニティにいた彼は、新しいことをやっている人物をつねに探していました。そして彼はこう考えたんです。「建築から派生して、さまざまな分野にまたがる物語(ストーリー)を生み出している若者が目と鼻の先にいる」と。
レム_ それが彼の仮説だったということですか?
ヴァージル_ ええ、最初の仮説です。最終的な仮説は、次のようなものでした。「新しいアンディ・ウォーホルは芸術家然としていないのではないか」。彼曰く、アート界には「次世代の天才はきっとスタジオ54で遊び、シルクスクリーンを刷っていた頃のウォーホルのような見た目の人物に違いない」という暗黙の了解があったそうです。
ここで強調しておきたいのは、私たち3人が協働した成果がいまここに展示されているということです。資金調達やアイデアを具現化するために必要だった個々の職能は言うまでもありません。ですが、なにより重要なのは、「アーティスト」のためにある美術館という空間で、3人の建築家が作品を展示していることです。「建築とはなにか?」「アートとはなにか?」という問いに一般の人びとが触れる機会や場所は今後も増えていくでしょう。今回の展示では、そうしたテーマも扱っています。
この展示がもつ感性の根っこにあるのは、未来の建築家や未来のアーティストは私たちが期待するような姿をしていない、という考えです。というのも、欧米の外に目を向けるからこそ打ち破られる壁があるからです。
レム_ 年表のアフリカに関する部分の詳細が省かれ、曖昧になっているのが気になりました。
ヴァージル_ おっしゃるとおりです。そこがおもしろい点でもある。このイメージ(図1)はそこから来ています。私はこの写真に写っている少年のような存在でした。地元で、私はアフリカ人同然だったんです。船着場で海上輸送の仕事をしていた父は、ある日、その貨物の送り先であるシカゴに行こうとひらめきました。意志は固く、父は私の母を連れてシカゴに渡り、私にこのような人生を与えてくれました。ですが、私がガーナのダイナミズムを目にしたのは、10代後半で帰郷するようになってからでした。通りを見下ろし、雨ざらしの貧困街を歩いていると、これこそが自分なんだと悟りました。
図1_ガーナの首都アクラの街頭風景(Ulrich Doering/Alamy Stock Photo, Courtesy of Adachi Press)
レム_ ガーナにはどれくらい帰ったんですか?
ヴァージル_ 6回です。
レム_ じゃあ、10代の頃に。1年おきにガーナへ帰っていた。
ヴァージル_ そのとおりです。いつもガーナのアクラにある村に。両親の生家はいまでも残っています。ですから、ガーナに行ったのは私が「アメリカ化」したあとなんです。90年代、ティーンエイジャー、スケートボード……。私は(アフリカ系アメリカ人ではなく)ただ黒人(ブラック)であることをアイデンティティにしたいんです。展示に人種が関係してくるのはそのためです。私の肌の色や民族性に関する認識は、両親が家のなかで話すアフリカ言語を介してのみ形成されていました。外では英語を学び、アメリカ人のティーンエイジャーになろうとしていたんです。旅行をするようになったのは、建築と出会ってからでした。以降、私はどこか特定のローカルではなく、グローバルな視点をもつようになりました。ですから、アメリカの黒人(ブラック・アメリカン)であることはアイデンティティのひとつにすぎないんです。私はもともと、アーバンカルチャーやラップ音楽につながりを見いだしていました。ですが、建築や旅行というダイナミズムを通して視野が広がり、アメリカのティーンエイジャーとは異なる自分を発見したんです。この視点はのちに、作品にも反映されていきます。
アート界やデザイン界の掟を知り、模範とされるような過去のアーティストや建築家を学んでいくうちに、ある種、破壊的になる必要があるとわかってきました。アフリカ系のアーティストがどういうものなのか、黒人のアーティストがどういうものなのかというメッセージを作品に埋め込む必要がある、と。固定観念(ステレオタイプ)というのはたしかにあって、それは同世代の振る舞いにも顕著です。自分のアイデンティティを求めすぎると、耳と目が閉じてしまうことになりかねません。ですから、つまりこの展覧会は、自分のオリジンとここにたどり着くまでの道のりを確かめる物語の最終章なんです。今後はもっとアフリカとそのほかの世界を線でつなぐような仕事をするつもりです。いまならそこに関わるだけの資格があると思うんです。
レム_ きみはアフリカ系アメリカ人だと自認しているんでしょうか?それともアフリカン?
ヴァージル_ アフリカンです。両親からしてそうなんですよ。10代の頃、アフリカで同年代の連中と遊んでいると、かれらは「アメリカの道が金で舗装されてるってほんとうか?」と尋ねてきました。だれかが比喩で言ったんだろうと母は語っていましたが、かれらは文字どおりに信じていたんです。
2016, Paris, France(Melodie Jeng/Getty Images)
レム_ 最後にガーナに行ったのは?
ヴァージル_ 2006年です。その頃グローバル・コミュニティの人たちは──いまはもういませんが──毎年クリスマスから新年にかけてアフリカに押しかけていました。そのタイミングで、私に関する話題が村から村へと伝わり、両親や家族の耳に届くんです。おたくの息子はいまやルイ・ヴィトンのトップだとか、海賊版(ブートレグ)というものすごい流行を生み出しているとか、オフ—ホワイトを経営して八面六臂の活躍をしている、と──。ルイ・ヴィトンやプラダ、グッチと違い、ひとりのアフリカンによって創設されたオフ—ホワイトがイタリアやアメリカを拠点にし、世界的な広がりを見せている。それはアフリカンが歌手やバスケットボール選手以外の者になれるというメッセージになっているんです。私はそんなデザインの世界から来たのです。
サミール_ そのことによって、ご両親はガーナに帰りやすくなったのでしょうか。それとも帰りづらくなった?
ヴァージル_ そこにはまた別の力関係が働いています。有名な歌手として帰国したら大歓迎されるでしょうが、それとはまったく事情が違いますから。若者なりのしかたでこの文化を表現しようと思ったら、ちょっと複雑なんですよ。いまはインターネットがあって、差別の定義も変わってきていますから。それらについて、とやかく言うことはしません。しかし、いまの建築家やアーティストやデザイナーはどんな姿をしているでしょうか。その人がアフリカ系だったら、どんな姿をしているでしょう?
レム_ アフリカ系の建築家で何人か有名な人はいますね。デイヴィッド・アジャイやフランシス・ケレは知ってますか?
ヴァージル_ ええ、ふたりとも知り合いです。アジャイとは仲がいいですよ。彼はロンドン出身で、何度か一緒に旅行もしました。アクラに行く予定もあります。彼がそこでいまプロジェクトを進めているんです。フランシスとは以前、デザインマイアミでハンス(・ウルリッヒ・オブリスト)と3人でレクチャーをしました。学生の頃から、デザインの歴史に新しい章(ニューチャプター)を書き加えることができたらどんなにすばらしいだろう、と考えていました。作品を通じて新章を刻むのは、私の使命なんです。
サミール_ 私たちは以前すこしだけですが、建築家とはなにをする者か、これまでなにをしてきたのか、いまなにができるかという命題について話し合いました。というのも、あなたからは単なるファッションデザイナーというよりも、建築家という印象を強く受けるからです。
レム_ 私が強い興味をもっているのは、かつて恒常的な専門職の代名詞として考えられていた建築が、さまざまな出来事の連鎖──おそらくは新自由主義や資本主義、さらにはニューメディアやソーシャルメディア、そしてデジタルそのもの──によって、瞬く間に、その応用領域を広げたという点です。それにより、建築は新しい体験や可能性に大きく開かれた。しかし私たち建築家は、その可能性のありかをうまく探し当てられていない。きみはそこに挑戦しているように見えるんですよ。
ヴァージル_ 私は建築から完璧に離れて、別の世界に飛び込みました。それでも、建築のDNAはしっかり受け継いでいます。私の哲学に刻み込まれていることは確かですが、これまで文書にはしてきませんでした。だから、いま興奮しているんです。この図録と展覧会は、その宣言であり、またその根拠となるものです。建築が方法論の根底にあるか否かを問いつづけるためのものではないんです。
レム_ だけど、その背景にあるのは、きみがかならずしも建築家になりたくないというわけではない、というテーゼではないでしょうか。きみはいまも建築家であろうとしている。しかし、今日の建築はその範囲が広がったがために、どんなものでも当てはまるカテゴリーになったわけです。
サミール_ 個人的な視点で話すと、AMOのおもしろさは、AMOを介することでグラフィックデザインにも興味をもつことができるという点にあります。つまり、建築を通じてならグラフィックデザインをおもしろがれるけれども、グラフィックデザインそのものには興味が湧かないんです。ファッションや映画についても同じことが言えます。私が映画をおもしろがれるのは、建築を介した場合においてなんです。
ヴァージル_ ハンスが言うように、建築を規定する要素を増やせば、建築作品の(再)定義が進むだけでなく、新しい作品をつくる際のメンタリティにも影響を与えます。私が発見したのは、往々にして、学んだものがその人物を規定するということです。私はまずエンジニアとして、次いで建築家として訓練を受けました。なので、本来私が従うべきなのは、そのふたつだけなんです。ですが、ほかの分野を──たとえばファッションデザインを──探求するようになると、みんな私をファッションデザイナーと呼ぶわけですよ。一口にデザイナーといっても、方法論もプロセスも千差万別です。私の場合は、建築家の視点からファッションをつくっているわけです。
レム・コールハース June 4, 2014 in Venice, Italy(Barbara Zanon/Getty Images)
レム_ 建築家から転向したファッションデザイナーは、ほかにもいたと思います。
ヴァージル_ 建築家からアーティストになった人は何人も知っています。トム・サックスやスターリング・ルビーは、建築を学んだのちに転向しました。おもしろいですよね。とても惹かれる話題です。
レム_ デザイナーに転向した人だと、ピエール・カルダン、トム・フォード、きみ、ティエリー・ミュグレー、ラフ・シモンズ、ピエール・バルマン、メアリー・カトランズ、シキ・イム、ケーシー・カドウォールダー、カルロス・ガルシアベレス、ザハ・ハディド。それから川久保玲も建築に関心があったようですね。
ヴァージル_ 学生の頃は、誤った建築家観をもっていたんだと思います。建築家はあらゆることに通じていると思い込んでいました。広範にわたる圧倒的な知識をもち、建物の建設に応用するのが建築家だと思っていたんです。
サミール_ 個人的にはバウハウスの時代の資料に惹かれるものがあります。建築家がようやく計画的に領域を横断する取り組みをはじめ、複数の分野の訓練を受けられるようになったのがその頃なんです。いまはプロダクトはもちろん、グラフィックや展示のデザインだってできるんだから、やらない手はありません。ひとつのことだけをやりつづける必要はないんです。
ヴァージル_ ここで出てくるのが、観光客(ツーリスト)という新しいタイプの集団です。
サミール_ 観光客の登場はインターネットと関係していると思いますか。つまり、よく言われるようにそれは知識の平坦化(フラットニング)なのでしょうか? かつてないほど多くの人が批評を語るようになった分野において、純粋主義者(ピュリスト)は絶滅寸前です。その分野が民主化されたとも言えるかもしれません。正規の建築教育を受けていない人が建築について書くことも増えました。
レム_ なにかが完全になくなることはないと思います。そうではなく、新しい層(レイヤー)ができるということじゃないかな。観光客の判断力に対する懐疑はわかりますが、複雑な気持ちです。教育を受けているかいないかにかかわらず、自分がおもしろいと思うその気持ちだけでものを書くのも重要ですよね。
ヴァージル_ 観光客の知識は限られているかもしれません。しかし、かれらの良し悪しは、純粋主義者の価値観に根ざすものではありません。それは、(知識がなくても興味があるという)二面性にこそあるんです。これまで私は、閉じた心(クローズド・マインド)の持ち主を納得させるものではなく、見た人がオープン・マインドになる作品をつくってきました。観光客と純粋主義者の真ん中に置けるものを──。もし純粋主義者に向けて振り切るなら、閉鎖的なシステムをもっと強化することになるでしょうね。
レム_ 純粋主義者と観光客の対比はおもしろいですね。ただ、聡明な純粋主義者は、絶えず観光客になれる環境に自分の身を置いていると思います。そして期待をこめて言うならば、聡明な観光客は純粋主義者に強いあこがれをもつんじゃないか。あるいは少なくとも純粋主義者に匹敵する知識をもつようになるんじゃないでしょうか。私はそんな弁証法が好きですね。
ヴァージル_ それはファッションにも当てはまると思います。ファッションの歴史はもちろん重要ですが、ランウェイの服が、ホームレスの人や会社勤めをしている人と関係があるとは到底言えません。
この「閉じたファッション史」を一掃したのはブランドや出版物やインターネットだ、と批評家たちは言います。ですが私は、その言説に挑戦したいんです。業界の外にいる人たちは、もっぱらブランドの服にも謳い文句にも興味がありません。「おたくの服を買わなければいけない義理はこれっぽっちもない。あなたがた純粋主義者が私たちの生活に影響を与えるなんて幻想ですよ」というわけです。私がこの業界に参入したのは、ファッション界に期待する以上のものを自分でレディメイクできる(いまあるものの組み合わせでつくれる)と思ったからです。それは直感でした。この業界のなかで、既存のシステムとは異なる理想をもったものをつくり、別の角度から変化を促そう、とひらめいたんです。
French Riviera July 25, 2018(Getty Images/Foc Kan/WireImage)
ヴァージル・アブロー|Virgil Abloh
ファッションデザイナー、クリエイティブディレクター、アーティスト、建築家、エンジニア、DJ etc.。ガーナ人の両親の元、1980年アメリカのイリノイ州ロックフォード生まれ。ウィスコンシン大学マディソン校で土木工学の学位を取得し、イリノイ工科大学で建築学修士課程修了。2009年にシカゴでアートギャラリー兼メンズショップ「RSVP Gallery」を立ち上げ、カニエ・ウェストのクリエイティブエージェンシー「DONDA」にクリエイティブディレクターとして参画。「OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH(以下、オフ-ホワイト)」を2013年からファッションブランドとして始動し、18年に「LOUIS VUITTON)」メンズ部門の新アーティスティックディレクターに就任。21年11月に癌により41歳で急逝した。
レム・コールハース|Rem Koolhaas
建築家、アーバニスト。1975年、ロッテルダムにOMAを共同設立。リサーチ部門AMOのサミール・バンタルとともに、世界の非都市部の現況をテーマとした展覧会「Countryside,The Future」(グッゲンハイム美術館、2020-21)をキュレーションした。
サミール・バンタル|Samir Bantal
OMAのリサーチ部門AMO(1998年設立)のディレクター。「Countryside, The Future」をレム・コールハースとともにキュレーション。ヴァージル・アブローとは“Figures of Speech”の会場構成、オフ—ホワイト・パリ店のデザインなどで協働した。
次週9月6日は、サーキュラーエコノミーのデザインファーム「fog」代表、大山貴子さんが選ぶ「つくるの本棚 #2」をお届けします。サーキュラーな視点を養うための3冊とは──お楽しみに。